人間とは、久遠の歴史を背負って生まれてきた者である。
損や得や善悪、そんなもので計れるほど、軽い者ではない。
甚だ重い久遠の過去、そして、光明と共に歩む可能性を孕んだ者の
ことを云うのだと思う。
あなたは一体何だ?僕は人間でありたい、と思う。
南無阿弥陀佛
悲しいなと感じることが多い。
自分は、そのものを見ることができない。
うわべもほとんど分からない。況やそのものをや。
自分の判断基準をもって、その人をその存在を区別し、価値づける。
それが決して止まない。動きどおしである。
そして、欲。湧いてくる欲と衝動。抑えることができない。
渇愛というのだろうか。
自分が、罪の意識なんていっても、それは僕が分かる感じる範囲の話で
あって、全く意味を成さない。
もっと深く、ずっと引きずってきたものがある。だから、
生まれてしまった。
生まれる、ということは迷いの存在が生起するということであって、
本来おめでたい、といえるようなことではない、と個人的には思う。
生きるということは、それほど重いことだと思う。いのちを奪う。
奪うの後ろには、奪われたものがある。必ず。そのことを忘れる。
極重の悪人とはかかるものをいうのであろう。それは誰でもない。
自分自身である。そして、その深さは全く検討がつかない。
せめて、ひとを観る努力をしようと思う。せめて。存在として
見る努力をしようと思う。たとえできなくても。それが抗う精神だと思うから。
ただ、悲しみが痛い。分別が痛い。存在していることが痛い。
南無阿弥陀佛