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むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

大悲のいわれ

もろもろの衆生を視そなわすこと、自己のごとし(仏説無量寿経

 

自分と衆生、わたしを分けずに自身として、

 

私の上に必ず本願を成就しようと大悲を起こされ、

 

敢えて言葉に成り下がり、南無阿弥陀佛の声にまで

 

成って下さったご親切。

 

それを南無阿弥陀佛のいわれという。

 

南無阿弥陀佛のいわれを聞く。わが名を称えよという

 

如来の仰せを専ら聞く。如来は念佛の声を通して出遇う。

 

如来との出遇いはそのまま自己との出遇いとなる。

 

自己とは出遇うもの、出遇い続けるものである。

 

南無阿弥陀

念佛は無碍なり

念佛は無碍なり。

 

無碍とは我が身我が煩悩を貫くなり。

 

貫くとは障りなく、届くなり。

 

届くとは聞こえるなり。

 

聞こえるとは称えるなり。

 

称えるままが聞くことなり。

 

念佛は貫くなり。専ら弥陀の名号を聞く。

 

我が身我が心のありように囚われず、専ら念佛を聞くべし。

 

南無阿弥陀

 

17.05.03追記

 

何々すべしというと、上からの言葉に聞こえがちですが、

このブログはあくまで自分の信仰を言葉にするもので、残念ながら

自分以外の人に、念佛をお伝えする力はありません。

自信教人信と仰られますが、自分の場合は専ら自信しかありません。

よってここの聞くべしは自らに対する言葉であります。

如来ともにまします

絶望を光に転じる出遇いだった。

 

念佛との出遇いから、もうすぐ丸二年である。

 

もしも救われるということがあるのであれば、

自分一人ではなく、一切のともがらが、ともに浄土へ

往生することであろう。信心は所有物ではなく、

身につくものであると金子先生の本願の宗教というご本にあったが、

信は終着点ではなく、出発点である。

 

 

自己満足で完結するようなものではない故に、

還相廻向させると本願に誓われているのだろう。

 

香樹院語録という本に、生涯のうちたった一人でも

念佛者を産んだならば十方諸佛がお喜びであり、

親鸞聖人にも面目が立つぞという趣旨の教えがあった。

 

今生では如来の役に立つことはできまいが、

往生を遂げさせて頂いたならば、親兄弟親戚ペット、

すれ違った人、隣に座った人、一切有縁を浄土へ

導くことができるはずだ。

 

たった一言言葉を交わすことさえ、無駄にはしない。

如来の大悲を思う。

 

これからも辛く悲しいことが沢山湧いてくるだろう。

でもこれで最期。苦しみを引き受ける力を念佛といい、

如来ともにましますという。

 

まことの自由を浄土往生という。

念佛往生は自然に浄土往生遂げていく。

 

南無阿弥陀

いのちのともがら

十方衆生とは、みなご縁のある者ということだと思う。

 

われらは、弥陀に助けられるべき存在であり、業が違うので、

 

姿形性格、性別さまざまな違いはあるけれども、

 

生まれてしまった者、必ず死に帰さねばならない者という点において、

 

全く同質のともがらである。世々生々の父母兄弟のお言葉がまことであろう。

 

つまり、上下左右、貴賎、男女、富貧、一切は夢の如し。

それらは、本質ではない。全くのうわべである。

 

決して、本質を見失ってはならない。

 

『原点は出所でもあり、また帰るべき場所でもある』

ご縁のある先生のお言葉を思い出した。

 

我らはうわべで損やら得やら、良いやら悪いやらといって遊んでいる。

本当は何ひとつ知らないし、分からない。

 

如来の仰せに従うべきいのちを、みな生きている。

如来の仰せはただひとつ『わが名を称えよ、必ずわが浄土へ往生させる』

 

どうかすべてのともがらがともに念佛を申してほしい。

 

南無阿弥陀

一向専修

法然聖人、親鸞聖人は一向専修の人であったはずだ。

 

その流れを組む者であれば、念佛を申せという仰せに

 

従い、念佛を専ら聞くのが自然であろう。

 

祈願請求の念佛ではなく、わざわざ南無阿弥陀佛にまで

 

成ってくださって、今ここに声に出でて下さる。

 

念佛に自力はない。自力で称えれていると誤認しているだけで、

 

微塵も自力はない。これが親鸞聖人の念佛のご領解だと思う。

 

念佛を申し、念佛を聞く。念佛のこころを聞く。

 

如来がわたしを思い詰めである。それ以外に不足なし。不足小言は

みな妄想。妄想をまこととしか思えぬわたしに、まかせよと仰る。

 

よきひとの仰せをそのまま頂く。自分はよきひとに沢山恵まれて、

お育てを受けている。思い通りにいくことが幸せだと思っていたが、

そうではなく、今お念佛申す身にして頂いた、これがまことに

身に余る幸せである。如来まします、これだけで心安楽。

 

南無阿弥陀