真宗の救いとは、自力無効である。
わが力及ばず。
あるいは、わが身、わが心の浅ましさを智慧によって知らされる。
煩悩がなくなるのではない。煩悩を滅することは今生では不可能である。
また苦しみ悲しみがなくなることはない。ここは娑婆だから。
堪忍の土と如来は仰っている。
憑む一念に浄土に往生したとはいえない。
諸々の衆生も無量無数にいる限り、助かることはない。
十方衆生の往生成佛とわたしの往生成佛はイコールである。
離れたものではない。不二である。
難思議往生を遂げんとおもう、と親鸞聖人は仰った。
不断煩悩得涅槃。煩悩を断ぜずして、涅槃を得る。
これは、入正定聚の意味もあろう。
わたしの行くべき方向が本願によって、正しく定められた。
大悲が私の存在全体を貫いたのである。心だけもなく、身だけでもない。
存在そのものである。
念佛の一念に久遠の響きがある。それは今もこだましている。
憑む一念と自力無効は同時即である。
今はただ、喜びもどこへやら、
如来が、わたしに、何と仰っているか?それを聞くばかりである。
それだけで十分なのである。如来は本当に親切である。
わたしは助かるのではなくて、助けられるのである。
助からぬまま助けられる。矛盾が矛盾のまま横超される。
何も問題がない。まかせよ、と仰る如来にただ打ちまかせるばかり。
南無阿弥陀佛