2018-12-11 佛語を頂く 徒然なるままに 有難いな 平素のやりとりの中で、佛語を聞く場面が ある。あぁ有り難いことやと思う。 懸命、ひたむきな姿に如来が宿る。 真実に至るという意味の曹洞宗のお言葉。 佛縁のない方から聞くと特に有り難い。 ちゃんと如来がはたらいておられると 安心するのであります。 ただ一方で存在を傷つける言葉もあるわけで 痛ましく、悲しくも思う。よきひと、 よきことばに囲まれたいと思う。 念佛とは大悲真実の言葉であります。 南無阿弥陀佛
2018-12-10 煩悩は苦しいがそれだけでは終わらない にんげん 他の方はどうかしらないが、 まぁわが煩悩は静まらず、落ち着きがない。 他者を責め、今与えられている境遇にも 感謝がない。不満ばかりである。 頂いた佛恩を忘れて、まことに粗末な 有様であります。そういう心しかない存在が 自分であると知らされるのであります。 そこに大悲が顕れてくださり、 南無阿弥陀佛、タスケルと仰って下さる。 もはや道なし。念佛に帰るばかり。 残念ながら始末ができないのであれば、 任せよと仰って下さる方にひたと 任せるばかり。 南無阿弥陀佛
2018-12-06 閉)なぜ自力では助からないのか⑦ 自力の限界 もはや自力にこだわる必要なし。 仏さまが常にわれらと共に居て下さる。 憶念とは他力を表す。仏さまがいだきとり、 心配するな、必ず往生させると喚んで 下さる。娑婆は苦しく、悲しく、全く孤独で あるが、仏さまはあたたかい。 今、ここに、助からぬわれに如来常にきたる。 存在の交流、真実実在との邂逅。 大悲への満足。本願の尊さよ。 摂取不捨の真言まことなり。 南無阿弥陀佛。このタスケルの仰せに 寄りかかり、順ずるばかり。 われらは如来の願力南無阿弥陀佛ひとつで 平等に必ず往生せしめられるのである。 自力考察を閉じる。 娑婆の只中にて娑婆に染まらぬ信心の 尊さ、南無阿弥陀佛の力強さよ。 南無阿弥陀佛