佛性覚醒は大悟に非ず。
このお言葉は以前、書いた寂静禅経の
ものです。
信心決定と先の佛性覚醒はイコール、
即ち等しい言葉であると感受します。
そして、こういうことも仰る。
佛性覚醒を大悟と誤認しやすい、と。
浄土真宗でもこの点をよく噛みしめる必要が
あると思われる。
やっと始まったのであって、
終ったのではない。確かにある意味では
終ったに違いない。が、そこに留まることは
できない。
無功徳、無功用、自然。知進守退。
行きつ戻りつ。往来往復反復鍛錬。
一歩一歩踏みしめていきたい。
遅々とした歩みでいいじゃないか。
足元をしっかり見据えていく。
今すでに光はともにある。
これまでも、今も、これからも。ずっと。
南無阿弥陀佛