むなしさとともに

暗黒の最中、真実の声が聞こえる。大悲の御声。南無阿弥陀佛

十地の階梯③

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p41 (3)かの菩薩は、自我に執着する妄想(我見)が消滅している。したがって、自我の観念も存在しない。それゆえに、かの菩薩には、死んでしまったらどうしようという不安もない。 煩悩は見えると力を失う。明…

十地の階梯②

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫歓喜地 p42 五種の不安の解消(1)生活していけるかどうか(2)名声にありつけなかったらどうしよう(3)死んでしまったらどうしよう(4)苦悩に満ちた存在に生まれるかもしれない(5)説法会にあって、おどおど…

十地の階梯①

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫 十地経は菩薩の階梯を十で表して下さったお経であります。浄土真宗では、浄土三部経が中心なため、あまり縁がないかもしれませんが、非常に大切なことが示唆されたものだと感じます。親鸞聖人の顕浄土真実教行証…

何が燃え続けているのだろうか

夢を見た。炎が燃えている。この炎は自分が点けてしまったのか、他者が蒔いたものなのか分からない。忽然と点いたものである。 何が燃えているのか分からない。ただ、燃えているそのものは自分が拵えてきたものに違いない。ひどく黒ずんでおり、もうすでに焼…

もう一度立ち帰る

唯識を読んでいた途中で、心が移り変わり、 専ら経済や仕事の本を手に取っています。 知らないことばかりで、また、世間には 立派な方が沢山いるのだなぁと感じます。 他者になる必要はないのですが、優れた 思想、実践、過去の軌跡は知りたいのです。 現実…

念佛に打ち込むべし

わが思いはからいに囚われることなく、 ひたすら一途に専ら念佛すべし。 念佛は大悲のかたちなり、 かたちなきものがかたちをとってあらわれて くださったまことのかたちなり。 念佛の出処はすべて法蔵菩薩の願心。 一念一刹那も清浄ならざることなし。 され…

正直な気持ち

唯識は難しいと聞いたことがあるが、 実際すごく微細で、言葉も難しい。全然 わかりません。 最近は真宗のお聖教ではなくて、唯識の 本をゆっくり目を通している。 煩悩に対する分類分析も細かいし、 歓喜地、信心決定がどういう意味を 持つかも表されている…

行が問題だ

具体的現実で問われるのは、実践、即ち 行である。対己に関しては、唯念佛一行、 これのみである。 対他者に対する具体的実践が、 六波羅蜜である。 軟らかい言葉。孤独と無関心への忍耐。 差入。 自分自身を賭けて念佛を表現する、 阿弥陀佛の本願が実在す…

溺れる夢

濁流に流され、川底に引きずり込まれる。 息が吸えず、苦しい。誰かが足を引っ張る。 溺れた人は自分だけではなかった。 大勢の人が濁流に呑まれ、自分もまた 沈んでいく。 味わった息苦しさと足を掴む力は 生身で感受する以上に現実味を帯びていた。 さて、…

自身に引き当てる

社会の問題に自分はどう関係するのか。 なぜこういうことが起きてしまうのか。 この結果に至るまでに、この人はどういう 日々を過ごし、誰に会い、 何を教わったのか。何がそうさせたのか。 本当の理由、それに至った経緯は他者には おろか本人にも分からな…

残響

聞法会の残響が鳴っている。 残響、薫習、修道という言葉には 何ともいえない大切なことが含まれているが 言葉は迷いの範疇のものなので、 とても表現することはできない。ただ、 梵鐘の音が暫く鳴り続いていて、静かに 解けていくような。 そして、また日常…

助かるということ

念佛称えて助かるのではない。 如来を信じて助かるのではない。 念佛にまでなって下さった大悲。 助かるまじき存在たる我を助け遂げずば おかないとまで誓って下さった 大いなる大悲の願心。これを聞く一つで、 行信、他力の大菩提心まで回向して下さる。 こ…

静けさ

静けさを希求している気がする。 物事が終わり、尽き果てる静けさ。 始まる前の静けさ。 静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、 一途に春を待つ桜の木のような。 なんとも言えないが、 やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。 寂静寂滅は逃げることではなく、…

暫くツイッター中心かと存じます

長い文章ではなく、 端的にやってみたくなり、ツイッターを 再開しました。 ナナシ (@oujouwogosuru) 僕はグラブルをしているもので、 キャンペーンのリツイートが残っていますが あしからず(笑) 凡夫であるということは、大いなる悲しみで ありますが、一…

油断せずにいこう

まだ道は半ば。否、半ばにも達していない。 でも、確かに始まっている。 油断せずにいこう。慢心というぬかるみに 足を取られるが、着実に一歩ずつ。 転けてもまた立ち上がろう。擦りむけは いずれ治る。 南無阿弥陀佛

ともに歩む

自分だけ助かって終わるのではなくて、 同じ地平に立ってともに本願念佛を仰ぐ。 ともに尋ねていく。ともに聴聞する。 そこには自分一人では決して辿り着けぬ 何かがある。それを寂静とか涅槃というのだ と思う。すべて終わった世界。また始まる 世界。往生…

マシだと思う心(追記あり)

A>B A=自分 B=他者 できないより、できる方がいい。 ないより、ある方がいい。 自分はあの人よりマシだ。 この心が流転の根、地獄の元であろう。 死骸のような心。腐り切った心。 どうしてもこの心を離れることが できない。故に無始より流転しているから…

ニヒリズムを超える

ニヒリズムを超えることは、 人間の知恵、分別知では難し。 意味を見出し続けることは非常に困難で あり、果てがない。 もしも、超えることがあるとすれば、 自分の感情、感覚をさしおき、相手に しないこと。むなしさはなくならない。 悲しみもなくならない…

聖胎長養

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖胎長養 また言わく、信は道の元とす、功徳の母なり。 一切もろもろの善法を長養す。 (親鸞聖人 顕浄土真実教行証文類 信の巻) 華厳経のお言葉を引かれておられる。 念佛往生とは念佛の信を長養することだと 思う。現実…

一隅を照らす

誰からも見向きもされず、大事にされず。 代わりは幾らでも居て、不安と老いに 怯えている。 だからといって、何もしない訳にはいかない。 弱者には弱者の意地があり、家族があり、 内に秘めた涙もある。 だからこそ、黙ってすべきことに 打ち込む。ことと一…

共に苦悩するよ

助かるとは、一体どういうことか。 即ち、雑行を棄てて本願に帰すということは 如何なることか。 安田理深先生の言葉があった。 その自覚で苦悩から助かるという意味でなしに、本当に苦悩できるという意味で助かるのではないか。 苦悩がなくなって助かるので…

佛様の無限大悲

ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし というよきひとの仰せ。 わが名を称えよという本願。 助からぬ存在、すなわち、自他を傷つけ、 貪り、本当に進むべき道も分からず、 ただ立ち尽くし、傍らにうずくまって、 誰からも見放され、見捨てられた存在た…

常行大悲

佛さまが常行大悲の方であり、 自分は専ら佛さまの行を蒙るのであった。 お念佛の相、まことに大悲である。 独りでも独りではない。 南無阿弥陀佛

目的と手段が統合される

日常では、目的が先で、手段が問われる。 むなしいとは、目的や意味を見失っていると 言えないだろうか。だから、白けたり、 真面目にするのが馬鹿馬鹿しく思える。 今、お前はどうだと問われるとする。 われ、今はただ一向に行ずるのみ。 もはや結果、ある…

第14章 ブッダ

184. 忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は(道の人)ではない。 (中村元先生 ブッダの真理のことば感興のことば 岩波文庫p36) 忍耐、堪忍…

雑感

歓びも他者を傷つける。 この鈍感さを罪というのだろう。 そうすると罪を犯さない人間は一人も いないと思う。ならば、この歓びも 捨てて、ただ一人の人間に還ること、 還ろうとあがくことのみが 人間を回復しうるただ一つの道ではない だろうか。悲しみを忘…

気の向くまま赴くまま

自由、何にも替え難いもの。 他者の自由を脅かさない限り、人は 自由であるべきだと思うし、本来は自由なのだと思う。 ただ、我執に縛られ、顛倒に引きずられ。 全くがんじがらめだ。 ただ、がんじがらめの中にいつつ、 今、ここに、自由が届いている。 輝き…

心境に用事なし

疑心あることなし、これを聞というなり、 と親鸞聖人は仰った。 若不生者の誓いゆえ 信楽まことにときいたり 一念慶喜するひとは 往生必ずさだまりぬ 歓びに浸った時もある。 浅ましさに眠れなかった日もあった。 有難い心も有り難く無かろうと 共に用事なし…

変化は面白い

変わることは面白い。 変わることは動くこと、反応したり、 適応すること。 ただし変わらぬ軸を獲た上で、 敢えて変わることを選ぶことと、 流されて変わること、即ち、 変わることを忌避するけど、変わらざるを 得ないのとでは、相が同じでも意味が異なる。…

第四章 花にちなんで

他人の過失を見るなかれ。 他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ(ブッダの真理のことば感興のことば 中村元先生訳岩波文庫p17) 暫く中村先生訳のダンマパダの文章を ゆっくり読んでみたいと思います。 …