読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

助けるの仰せ

如来は待っている。衆生を信じて待っている。 ただ待っているのではなくて、動きながら待っている。 すべてを知り抜いて、どうしても助からない、迷いに埋もれるしかない このわたしを、だからこそ、我は決して汝を捨てない、と仰っている。 これが弥陀の誓…

有縁の知識

私が現在ご縁のある先生方については、事前に相談等も必要だと 思いますし、その人の信仰の状況にも関わることなので、 このような場では申し上げるつもりはありません。 しかし既に往生された先生方ならば、お伝えできると思います。 二人おられます。 藤谷…

願力無窮

無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ 願力無窮にましませば 罪業甚深もおもからず 佛智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず(正像末和讃) 自分の心と我が身を相手にしない。そこからは妄念妄想以外に…

聞思

しばらく疑問を至してついに明証を出だす(顕浄土真実教行証文類 信巻) 親鸞聖人の聞思の姿勢を感じる。 言葉を掘り下げる、文章は行間を読む、仏法に体当たりをする。 専ら念佛を聞く。 僕には、時々このようなことに浸る時節があるようです。 止観、観察…

如来との対話

比較の煩悩が起こり、惨めな気持ちが湧いてくる。 持つ者を羨み、ねたむ。そして、落ち込みそうになる。 すぐさま一声、如来が仰る。 弥陀がおるぞよ。弥陀じゃ不足か? あぁ、そうだった、阿弥陀さんまします。助けると仰せがあった。 いいえ、まことに十分…

貫き徹す

念佛は無碍であり、無碍とは貫き徹すことである。 これが自分が体解している仏法であります。 念佛が塞がろうとするわが心をこじ開ける。 本願がわが身を助からない身に引き戻す。 願力無窮、無為自然。 苦しみ嘆き悲しみに心身を浸す。つかる。沈む。どうに…

師に遇えたよろこび

曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし(高僧和讃) 生きた念佛の行者である先生に出遇わせて頂き、 とても嬉しく有難く思っている。先生は、苦労を重ねられ、沢山の先生に 道を尋ねられ、苦悩し、念佛…

一匹の虫

たまたま手に虫が止まった。 たまたまである。 なぜ自分と彼は出会っただろう? なぜだろう?不思議の因縁を思う。 手に触れて、彼は飛び立っていった。 彼と自分には、ともにひとつの命がながれている。 不思議な因縁を感じる。彼に仏縁あれかし。 南無阿弥…

大悲のいわれ

もろもろの衆生を視そなわすこと、自己のごとし(仏説無量寿経) 自分と衆生、わたしを分けずに自身として、 私の上に必ず本願を成就しようと大悲を起こされ、 敢えて言葉に成り下がり、南無阿弥陀佛の声にまで 成って下さったご親切。 それを南無阿弥陀佛の…

念佛は無碍なり

念佛は無碍なり。 無碍とは我が身我が煩悩を貫くなり。 貫くとは障りなく、届くなり。 届くとは聞こえるなり。 聞こえるとは称えるなり。 称えるままが聞くことなり。 念佛は貫くなり。専ら弥陀の名号を聞く。 我が身我が心のありように囚われず、専ら念佛を…

如来ともにまします

絶望を光に転じる出遇いだった。 念佛との出遇いから、もうすぐ丸二年である。 もしも救われるということがあるのであれば、 自分一人ではなく、一切のともがらが、ともに浄土へ 往生することであろう。信心は所有物ではなく、 身につくものであると金子先生…

いのちのともがら

十方衆生とは、みなご縁のある者ということだと思う。 われらは、弥陀に助けられるべき存在であり、業が違うので、 姿形性格、性別さまざまな違いはあるけれども、 生まれてしまった者、必ず死に帰さねばならない者という点において、 全く同質のともがらで…

一向専修

法然聖人、親鸞聖人は一向専修の人であったはずだ。 その流れを組む者であれば、念佛を申せという仰せに 従い、念佛を専ら聞くのが自然であろう。 祈願請求の念佛ではなく、わざわざ南無阿弥陀佛にまで 成ってくださって、今ここに声に出でて下さる。 念佛に…

無有出離之縁

出離の縁がない、助からないということはどういうことかというと、 この身この心では、十悪五逆誹謗正法という生活から、 どうしても離れることができないということだと思う。 生死流転とは経巡り続けるという響きがある。 出所、上流が腐っていれば、以下…

であい

ひとつひとつのであいが、今のわたしをつくっている。 これからもつくってゆく。 つくりつづけてゆく。 あのであいがなければ、いま、ここにあるわたしではなかった。 ながしたなみだも、かなしみも、くやしさも、みじめさも、 いきどおりも、よろこびも、む…

勅命

如来の勅命に従う。 ただそれだけ。 われに用事なし。そのまま貫く南無阿弥陀佛。

言葉尽きて

いよいよ言葉が尽きてきました。 専ら仰せに従う。 それだけであります。 乃至十念 若不生者 不取正覚 (仏説無量寿経 第十八願 念佛往生の悲願) 我が名を称えるばかりで、必ず我が浄土に生まれさせる。 汝は念佛を申すだけでよい。一切は弥陀が全責任を負…

助けるの仰せ

一声の念佛は、汝を必ず助ける、との如来の仰せ。 自分の口を通るけれども、自分の行ではない。 如来の大行である。 大行とは無碍光如来の御名を称するなり(教行信証) 名となり、声となった如来が今ここで口に称え、耳に聞こえる、 南無阿弥陀佛。 南無阿…

他の方便さらになし

極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとへに弥陀を称じてぞ 浄土にむまるとのべたまふ(高僧和讃 源信和尚) (意訳) 極重の悪人である我々は、他の善行や他の仏菩薩の力で救われる 方法はさらにない。 ただ弥陀の名号を称えて、浄土に生まれることがで…

一対一の関係

如来と自分は直の関係であり、 他の一切が介在する余地がない。すきまがない。 念佛が如来に帰す。一声の念佛が戻す。 かたちなき本願力が言葉になってはたらいてくださる。 他力とは如来の本願力なり、のお言葉を思う。 憶念とは、自分が如来を思うのではな…

選択

決断をする時は、複数の中から「ひとつ」をえらんでいる。 選択とは、取捨選択。 数え切れない選択肢の中から、如来の智慧、大悲を込めて取捨選択した行、 どうにもならないわたしの為に、ただひとつを選び取ってくださり、 自身が念佛と成り、行とまで成っ…

念佛とともに

死にたくはないが、どうしても生きねばならない理由はない。 難儀は嫌だが、それは避けられない。自分のこれまでがもたらしたものだから。 宿業や一生造悪、極重悪人という言葉は、誰かに用いてよい言葉ではない。 自分が『自分自身』にしか、用いることを許…

無明

どんな人も、その人を精一杯生きていると思っている。 あるいは、できることなら、互いに傷つけあわないで、尊重し、生きたいと 思っていると思う。 でも、それが何一つ成就しない。 成就するとは、その人という存在そのもの、実存という言葉でしか 表すこと…

本願は大地なり

一切が本当の支えにならない。本当に悲しみと痛みを感じる。 立場、状況によって、ひっくり返ってしまう。 また正しいと思うことが、本当に正しいのかどうかわからない。 それでも、するしかない。衆生は業によって流転していると感じた。 選択本願念佛は唯…

有限存在

諦かに観る。 雲を雲と観る。犬を犬と観る。ひとをひとと観る。 そのまま観る。目をそらさない。ごまかさない。そのまま凝視する。 自分には、決して越える事のできない『一線』がある。 この『一線』は次元が違う。道理、法則というものである。 諸行無常。…

智慧

どの人も一生懸命生きている。 その人がこれで「よい」と思う方向に向かって生きている。 それが、何一つ成就しない。敗壊、退転する。 どういうことだろう? 僕はよく道に迷う。 なぜ迷うか?それは、目的地に対して、進むべき方向がどっちか分からないこと…

人間

人間とは、久遠の歴史を背負って生まれてきた者である。 損や得や善悪、そんなもので計れるほど、軽い者ではない。 甚だ重い久遠の過去、そして、光明と共に歩む可能性を孕んだ者の ことを云うのだと思う。 あなたは一体何だ?僕は人間でありたい、と思う。 …

仏語に従う(唯信仏語決定依行)

唯信仏語 決定依行(愚禿鈔 下巻) 自分が何者であるか、何をすべきか、何をしに生まれてきたか? 何のために生きているのか?何がわかるのか? 何一つ分からない者よ、我が名を称えよ、と如来は仰る。 釈迦如来も『汝よくこの語をたもて。無量寿仏の御名を…

悲しみ歎き

悲しいなと感じることが多い。 自分は、そのものを見ることができない。 うわべもほとんど分からない。況やそのものをや。 自分の判断基準をもって、その人をその存在を区別し、価値づける。 それが決して止まない。動きどおしである。 そして、欲。湧いてく…

誰が為の本願か

如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり(正像末和讃) 罪悪甚深煩悩熾盛の衆生をたすけんが為の願にてまします(歎異抄第一条) なぜ如来は我が名を称えるばかりで、必ず助けると仰るのか? なぜ法蔵比丘…

メリトクラシーに抗う

一切を貨幣的、機能的にしか認識、観察できない。 『それ』としか見ることができない。 これをメリトクラシーと聞かせて頂く。 これに染まってしまった自分が どれだけ他人を傷つけ、生き物を傷つけ、弄んできたか。 そして、今も止むことがない。それが自分…

しばらくお休みいたします

こんなブログにお越しくださり、有難う御座います。 ご案内だけ。 来月過ぎまでお休みいたします。 自分は、教学もないし、経験もない。ないないづくしですが、 如来の大悲に支えられ、励まされて、日暮をさせて頂いております。 憑むべきは、如来の大悲。依…

限界状況(越えられない一線)

因縁和合。つくべき縁、離れる縁。 出会いがあり、別れがある。どんなに努力をしても越えられない 一線がある。それは、そういう状況に陥るのではなくて、 元々そういう状況に在る、状況を具足していることを逃避し、 あるいは遠ざけることで自分を保ってき…

いのちを愛する

たまたま寄った銭湯のご主人の言葉。 オレは剣道五段やけど、兄ちゃん、剣の道で何がもっとも 強いか分かるか? いいえ、それはなんですかと答えると、 それはな、愛やねん。でも、何の愛かわからんねん。何でかわからんねん。 人を愛するということでしょう…

本願に信頼されている

信心で助かるのでもない。 念佛で助かるのでもない。 乗彼願力。お前を助けずばおかん。必ず助ける、という 如来の本願力、法蔵比丘の誓願で往生を遂げさせて頂くばかり。 わが身わが心、この相対有限の世界に自分をまかさない。さしおく。 助けずばおかん、…

事実と真実は違う

最近感じることがある。 それは、人は事実に支えられているということである。 事実とは、物質・精神両面において、様々な形をとって関わっている。 例えば、富、地位、家族、友、健康。 確かに今現在感じうる事実だといえる。 しかし、親鸞聖人は真・仮・偽…

修道、聞思、知進守退

安田理深先生の本にご縁があった。 師の講義録に、このような意味のことが書いてあった。 見惑は強いが、断たれる時は一瞬である。 修惑は弱いが、続いていく。そして我執の奥に法執がある。 蓮の花の茎は、ポキっと折れるが、筋はなかなか切れない、ことに…

たすけてといえばいい

無縁社会という本を読んだ。 孤独死。老病死。 人間には、どうしても超えられない一線がある。 ヤスパースは『限界状況』という言葉で表現している。 それに対峙したとき、如何に自分が無力であったか、思い上がっていたか、 それらが初めて明らかになる。 …

度衆生心(仲良くしたいと思う心)

お経を読んでいます。 浄土三部経ではありません。雑行だと言われるかもしれませんが、 別に構いません。そういうことを気にする必要はもうありません。そのままです。 そのお経に嫌と云うほど出てくるのが『衆生のために』という言葉。 三帰依文でも出てく…

むなしさを信頼する

無縁の大悲。摂取不捨。 この言葉の出所を聞く。この出所を本願といい、南無阿弥陀佛という。 表面ではなく、言葉の本質、言葉の響き、いのちが形をとった言葉、 言葉となってまではたらくいのち。 それを聞くのだ、と。和田先生の『常没の凡愚』を聞かせて …

よろこびも悲しみも貫く

よろこびたいが、よろこぶばかりにはならない。 またよろこびだけでおさえられるほど、人間は浅くない。 人間は深いものだ。歴史と悲哀を背負っている。 明けましておめでとう。幸多からんことを。 どうにも違和感を感じてしまう。 よろこびも悲しみも苦しみ…

形から心を見出す

心は形をとって現われる。 形を通して心を見出す。 どれだけ心を粗末にしてきたか。どれだけ見落としてきたか。 心は必ず形をとって現れる。 形を通して心を見出す。 今年、自分が生活から確かめていかねばならない課題だと感じた。 法性法身は形をとって現…

光は照らすものである。 照らされて影が浮かぶ。 影以外に自分はなく、影を通して光に出遇う。 いつの間にか佛法に立って、一切を見下し、驕慢心を起こしている。 繰り返し繰り返し影に遇う。そこには痛みや悲しさややりきれなさが 付きまとう。どうして自分…

2016年

この一年は、不思議なご縁で沢山の方にお会いさせて頂き、 共にひとときをすごすことができました。 日々、現実と念佛から知らされることは、 いよいよ迷いは深い、全くそこがつかないということしかわからないほど、 深淵である、ということと感じる。 浅ま…

能動的信

自分には確固たる使命感もないし、特別なことも できない。 口も達者でなければ頭も良くない。 人付き合いも下手。 でも一隅を照らしたいと思う。 挨拶、掃除、仕事、人との交わり。はがきを書く。 虫、鳥、ねずみ、魚。 念佛の兄弟を傷つけいのちを奪わざる…

本願に出遇うまで⑥

6.現在 念佛を申し、生活をする。必ず隣にひとがおられる。 そのひとが自分の自性を教えてくれる。 今の自分にとって、重要なことは、今ここでお念佛を聞かせて頂く、 ということに尽きる。 色々なことを思い違いしていたが、どんなに心をさしおいても、 現…

念佛に帰る

自惚れて、念佛に帰る。 念佛に帰って、欲に帰って、また念佛に帰る。 浄土は連続無窮の相をとる。何度でも何度でも。

今思うこと

色々な先生から、大悲のお心を聞かせて頂く。 ありがたいことに、本当に沢山の先生がおられ、それぞれの身を通したお言葉で ご本願、念佛の心を教えて下さる。 その中で、自分が今思うことは、 今、ここで、お念佛を申す。これが本当に大事なことだなという…

本願に出遇うまで⑤

5.出会い 自分にとっては、あの出会いがあったから今がある、 そう云える出会いがいくつかある。本当に大切な出会い。 真宗とのご縁を頂いた出会いもその一つであった。 今あの人は何をしているか、存じ上げないが、真宗の教え、 親鸞聖人の言葉との最初の出…

本願に出遇うまで④

4.失敗 自分は主体的活発的なものではないため、 こうなりたい、という意欲や夢が一つもなかった。 流されて、あるいは火がついてからでないと腰を上げない、そういう子どもだった。 そういうことで、受験に関しても、 具体的に志をもって取り組むということ…