むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

溺れる夢

濁流に流され、川底に引きずり込まれる。 息が吸えず、苦しい。誰かが足を引っ張る。 溺れた人は自分だけではなかった。 大勢の人が濁流に呑まれ、自分もまた 沈んでいく。 味わった息苦しさと足を掴む力は 生身で感受する以上に現実味を帯びていた。 さて、…

自身に引き当てる

社会の問題に自分はどう関係するのか。 なぜこういうことが起きてしまうのか。 この結果に至るまでに、この人はどういう 日々を過ごし、誰に会い、 何を教わったのか。何がそうさせたのか。 本当の理由、それに至った経緯は他者には おろか本人にも分からな…

残響

聞法会の残響が鳴っている。 残響、薫習、修道という言葉には 何ともいえない大切なことが含まれているが 言葉は迷いの範疇のものなので、 とても表現することはできない。ただ、 梵鐘の音が暫く鳴り続いていて、静かに 解けていくような。 そして、また日常…

助かるということ

念佛称えて助かるのではない。 如来を信じて助かるのではない。 念佛にまでなって下さった大悲。 助かるまじき存在たる我を助け遂げずば おかないとまで誓って下さった 大いなる大悲の願心。これを聞く一つで、 行信、他力の大菩提心まで回向して下さる。 こ…

静けさ

静けさを希求している気がする。 物事が終わり、尽き果てる静けさ。 始まる前の静けさ。 静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、 一途に春を待つ桜の木のような。 なんとも言えないが、 やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。 寂静寂滅は逃げることではなく、…

暫くツイッター中心かと存じます

長い文章ではなく、 端的にやってみたくなり、ツイッターを 再開しました。 ナナシ (@oujouwogosuru) 僕はグラブルをしているもので、 キャンペーンのリツイートが残っていますが あしからず(笑) 凡夫であるということは、大いなる悲しみで ありますが、一…

油断せずにいこう

まだ道は半ば。否、半ばにも達していない。 でも、確かに始まっている。 油断せずにいこう。慢心というぬかるみに 足を取られるが、着実に一歩ずつ。 転けてもまた立ち上がろう。擦りむけは いずれ治る。 南無阿弥陀佛

ともに歩む

自分だけ助かって終わるのではなくて、 同じ地平に立ってともに本願念佛を仰ぐ。 ともに尋ねていく。ともに聴聞する。 そこには自分一人では決して辿り着けぬ 何かがある。それを寂静とか涅槃というのだ と思う。すべて終わった世界。また始まる 世界。往生…

マシだと思う心(追記あり)

A>B A=自分 B=他者 できないより、できる方がいい。 ないより、ある方がいい。 自分はあの人よりマシだ。 この心が流転の根、地獄の元であろう。 死骸のような心。腐り切った心。 どうしてもこの心を離れることが できない。故に無始より流転しているから…

ニヒリズムを超える

ニヒリズムを超えることは、 人間の知恵、分別知では難し。 意味を見出し続けることは非常に困難で あり、果てがない。 もしも、超えることがあるとすれば、 自分の感情、感覚をさしおき、相手に しないこと。むなしさはなくならない。 悲しみもなくならない…

聖胎長養

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖胎長養 また言わく、信は道の元とす、功徳の母なり。 一切もろもろの善法を長養す。 (親鸞聖人 顕浄土真実教行証文類 信の巻) 華厳経のお言葉を引かれておられる。 念佛往生とは念佛の信を長養することだと 思う。現実…

一隅を照らす

誰からも見向きもされず、大事にされず。 代わりは幾らでも居て、不安と老いに 怯えている。 だからといって、何もしない訳にはいかない。 弱者には弱者の意地があり、家族があり、 内に秘めた涙もある。 だからこそ、黙ってすべきことに 打ち込む。ことと一…

共に苦悩するよ

助かるとは、一体どういうことか。 即ち、雑行を棄てて本願に帰すということは 如何なることか。 安田理深先生の言葉があった。 その自覚で苦悩から助かるという意味でなしに、本当に苦悩できるという意味で助かるのではないか。 苦悩がなくなって助かるので…

佛様の無限大悲

ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし というよきひとの仰せ。 わが名を称えよという本願。 助からぬ存在、すなわち、自他を傷つけ、 貪り、本当に進むべき道も分からず、 ただ立ち尽くし、傍らにうずくまって、 誰からも見放され、見捨てられた存在た…

常行大悲

佛さまが常行大悲の方であり、 自分は専ら佛さまの行を蒙るのであった。 お念佛の相、まことに大悲である。 独りでも独りではない。 南無阿弥陀佛

目的と手段が統合される

日常では、目的が先で、手段が問われる。 むなしいとは、目的や意味を見失っていると 言えないだろうか。だから、白けたり、 真面目にするのが馬鹿馬鹿しく思える。 今、お前はどうだと問われるとする。 われ、今はただ一向に行ずるのみ。 もはや結果、ある…

第14章 ブッダ

184. 忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は(道の人)ではない。 (中村元先生 ブッダの真理のことば感興のことば 岩波文庫p36) 忍耐、堪忍…

雑感

歓びも他者を傷つける。 この鈍感さを罪というのだろう。 そうすると罪を犯さない人間は一人も いないと思う。ならば、この歓びも 捨てて、ただ一人の人間に還ること、 還ろうとあがくことのみが 人間を回復しうるただ一つの道ではない だろうか。悲しみを忘…

気の向くまま赴くまま

自由、何にも替え難いもの。 他者の自由を脅かさない限り、人は 自由であるべきだと思うし、本来は自由なのだと思う。 ただ、我執に縛られ、顛倒に引きずられ。 全くがんじがらめだ。 ただ、がんじがらめの中にいつつ、 今、ここに、自由が届いている。 輝き…

心境に用事なし

疑心あることなし、これを聞というなり、 と親鸞聖人は仰った。 若不生者の誓いゆえ 信楽まことにときいたり 一念慶喜するひとは 往生必ずさだまりぬ 歓びに浸った時もある。 浅ましさに眠れなかった日もあった。 有難い心も有り難く無かろうと 共に用事なし…

変化は面白い

変わることは面白い。 変わることは動くこと、反応したり、 適応すること。 ただし変わらぬ軸を獲た上で、 敢えて変わることを選ぶことと、 流されて変わること、即ち、 変わることを忌避するけど、変わらざるを 得ないのとでは、相が同じでも意味が異なる。…

第四章 花にちなんで

他人の過失を見るなかれ。 他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ(ブッダの真理のことば感興のことば 中村元先生訳岩波文庫p17) 暫く中村先生訳のダンマパダの文章を ゆっくり読んでみたいと思います。 …

冷静に淡々と

元号が変わった。 平成最後。新しい時代。 テレビはほとんど見ないので、繰り返し こういう言葉が使われていること、 退位と即位の報道が飛び交っているのは とても違和感がある。何か国民に印象づけ ようという意図があるように思う。 一年に何度元号を思い…

確証を得る

ばたばたしているが、 物事、やりとりを通して自然と気づきが 去来したり、自分の目を通し、 人の言葉と姿を見て、その人となりを 教わることがある。 また確証を得る、押えるということが 非常に大切だと、身を以て体感した。 ただし、限りある身である故に…

弱いものとして

正直、自分は存在すべきものではないと 思っている。どれだけの嘘と偽りと 殺生と煩悩にまみれて生きてきたか。 生きているか。これからも生きていくか。 本当に浅ましいし、嘆くべきことだが、 眠りにつけないほどの慚愧はないし、 また明日も一日を過ごす…

全く仏法が身につかない

教えを聞き、念佛を申す。 色々やってみる。柔らかなことば。 応対。怒りの抑制。悲しいかな。ちっとも 変わらず、浅ましく情けない有様であり、 肉魚を食べ、酒を呑み、嘘や媚び諂い、 両舌、ごまかし、偽り、偽善にまみれきって いるが、どうしても離れる…

一歩ずつ

佛性覚醒は大悟に非ず。 このお言葉は以前、書いた寂静禅経の ものです。 信心決定と先の佛性覚醒はイコール、 即ち等しい言葉であると感受します。 そして、こういうことも仰る。 佛性覚醒を大悟と誤認しやすい、と。 浄土真宗でもこの点をよく噛みしめる必…

やわらかさ

※アプリに不具合があり、同じ記事が複数上がってしまい、スターを頂いた記事を誤って削除してしまいました。慎んでお詫び申し上げます。ごめんなさい。言葉、振る舞いに柔軟性をもちたい。 しなやかさ、柔軟さには、実は芯がある。 ただし、その芯は目には見…

薫習

自然(じねん)とは意識にも上がらず、 考えることもいらないことだと思う。 繰り返し反復する、失敗して、 立ち止まって、また行う。 そのサイクルを繰り返すこと、これが 薫習、自然でありましょう。 身につく。身についたことは忘れない。 こういうことが…

虎視眈々

新しい期が始まりました。 個人的には大晦日より、3月末が 年末のような心持ちです。 虎視眈々。 これがこの一年のスタイルになります。 チャンスが来るまでしっかり牙を研ぐ。 研ぎ続けていく。獲物は逃さない。 必ず仕留める。実生活の方針です。 一方で…