むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

往生礼讚

もし衆生ありて阿弥陀仏を称念すること、 もしは七日および一日、下十声乃至一声、一念等に至るまで、 かならず往生を得。この事を証誠したまふが故に護念経と名づく。 (真宗聖典 七祖編p712 往生礼讚 後述) わが名を称える者よ、汝よ、流転したくても流…

わが名を称えよ

わが名を称えるばかりで、必ず汝をわが国に生まれさせる。 どうかわが誓願を信じてくれよ、やるせない大悲が声になり、 念佛往生を告げ知らせるのが、南無阿弥陀佛。 わが名を称えるばかりで助ける。ほかに何もいらない。 わが心、わが身に微塵の用事なし。 …

専修念佛

自分がどう思うとか、どういただけるようになったとか。 そんなものに用事はない。なぜなら、思えるときもあれば、 思えないときもある。そんなふらふらしたものに何の用事があるのだ。 ただ念佛往生の大悲、わが名を称えるばかりで必ずたすける、 ほかに何…

本当の救い

たとえ誰か一人でも泣いて、苦しんで、生死に 埋もれる者がいるのであれば、自分は決して浄土にとどまらない。 すべてのいきとしいける者とともにしか自分の成仏は成立しない。 これが本当の救いである。 南無阿弥陀佛

信心を批判するはたらき

落ち着こうとか、安住したいのに、全然そうさせてくれない先生がいる。 厄介だなぁと思いながら、大事にしなければならない、ご縁だと思っている。 本当に安寧に止まりたい。わかった、というところに留まりたい。 でも、それが助かったといえるのか?個人的…

弥陀の直説法

聴聞だけが聞くことではない。 むしろ講師の説法には、その人の思いが混ざることが多々ある。 受け取る方も、そのまま聞くことが難しい。ほぼできない。 念佛は弥陀の直説法である。松並松五郎さんは仰った。 生粋の直説法。なんまんだぶなんまんだぶと称え…

いよいよ助からないことに覚める

聞けば聞くほど、わけがわからない。 どこまでも自分を憑みにする心から離れられない。 助からない。 助からない者よ、わが名を称えよ、必ずわが国に往生させる、という 如来の本願が敢えてかたちをとって今、この口より出でたまうのが 南無阿弥陀佛。 十方…

ぼんのうさま

ぼんのうさま ありがとう あなたがたがいなければ 決して仏法を聞くことはなかっただろう ぼんのうさま ごめんなさい ぼんのうのすがたをとってまで 聞かせてくださったのですね おかげで 佛の御名を称える身にまで仕上げられました 煩悩即菩提 生死即涅槃 …

信心のすがた

むなしくない、という題名でブログを初めて、 二年が経ちました。 二年も経ったのか、という思いと、二年しか経ってないのか、という思いが しますが、今自分が頂いている信心の相を記します。 当初、諸佛という言葉がなかなか頂けませんでした。ピンと来な…

そのままじゃぞよ

念佛は真の形。 形が即こころを顕す。心即ち大悲なり。 されば形は即ち大悲なり。 大悲の御声を聞くことは即ち念佛を申すなり。 その聞こえる念佛を、必ず助けると聞くばかり。 心が何を思うとも。この身が何をしようとも。 我が願力に障碍なし。そのまま貫…

追悼の意を込めて

ご縁のある方がお亡くなりになった。 それをご縁に思い浮かぶことを残しておきたい。 弔事に際して、ことばを捜したが、最中も、そして今も、結局ことばが 見つからなくて、ただ、ありがとうございました、と、それだけしか浮かばない。 そして、不思議と、…

流れるままに

固定化したら腐る。 留まると腐る。 念佛は湧き出るまま、流れるままに、専ら聞く。 専修念佛とは、専ら念佛を聞く、この一行をたもつ。 この念佛のいわれを聞く。 法蔵比丘の血と汗と涙と不退の覚悟を込めた言葉、 そして、衆生の、わたしの志願を見抜いて…

法蔵の願心

縁起の法とは、因縁が和合して、結果となる、と聞いている。 退転退屈、無常敗壊とは、因縁がほどけることだと味わう。 一切は因縁の和合に依って成立しているため、それが 保たれている間は、確かにある、存在する。 しかし、それがほどけると、姿形が変わ…

かけがえのない存在

人が死ぬ、ということはどういうことだろうと考えた。 存在が空白になってしまう。 その空白は、決して他の誰かや何かでは埋まらない。 その存在しか埋められない。 しかし、その存在がいなくなってしまう。 そして、それは逃れ難い。悲しみ、苦しむ。 そう…

無碍光如来は躍動している

ずいぶん聞き違いをしていたと思う。 こちらが、努力、あるいは前進し如来へ至る、あるいは、 心身が研ぎ澄ませねばならない。 これは聖道門である。竪の思考方式である。 浄土門は、横超他力。すなわち如来の方から、どうしても如来に至れない 者、すなわち…

助けるの仰せ

南無阿弥陀佛とは助けるの仰せ。 わが名を称えよ、必ず助ける。 たった十声なりとも念佛申すものが わが浄土に往生しないならば私は佛にならない。 形を通して大悲を頂く。 真面目になれず、煩悩丸出しのままじゃぞよ。 如来の御声がこの一声だとは知らなん…

無明を破る

無明の闇を破するゆへ 智慧光佛となづけたり 一切諸佛三乗衆 ともに嘆誉したまえり(浄土和讃) 釈迦如来は、一切有情の苦悩の根本原因を「無明」の故にと仰った。 この無明は深淵であり、これによって、無始乃至今日今時に至るまで、 流転し続けるのである…

本当に生きることが難しい

むなしさは、どうにもならんですね。 おそらくは、すべてに意味や価値を見出したいのでしょう。 しかし、如来は汝は迷いの凡夫なり、と仰る。 ここは迷いで、あちらは真実を求める、とかいうのではなくて、 一切が迷いであると仰る。一切とは例外がない、す…

お同行の言葉

土徳と善知識に育てられたお同行の言葉は、 たとえ理性的ではなくても、しみこむように感じる。 仏法を聞いたら、ちっとはましな人間になれるかと思っているが、 どうでしょうか、と尋ねたら、先生は「あんたは諦めなはれ。 ただ念佛申しなさい」と仰ってく…

念佛往生の誓願

念佛申す者、すなわち、我が名を称えるものを 必ず我が浄土へ生まれさせる、間違わさん、という誓いである。 我が名を称えるばかりで、必ず助ける。 この言葉は我らの世界における、ぎりぎりの如来の表現である。 形から心を頂く。かたちなき法性が、自己を…

光明のはたらき

白を黒に、黒を白にするものが光明のはたらきではない。 白を白と、黒を黒と、そのもの自体の存在全体を照らし出だすはたらきを 光明というのだ、と体解する。 悪性を悪性と、自己中心を自己中心と、凡夫を凡夫と知らしめる。 如来のはたらき、智慧とよぶの…

外道

光は照らすものであり、そのはたらきは、照らされたものを 見せつけるものである。 知らなかった。自分が全くの外道であることを。 どんなに聞いても聞いても佛道を歩むことができない。 そもそも迷いの中を出たいという気持ちがない。皆無である。 望んでい…

右手左手

右手でめだかにえさを与える。 左手でなべに鰹節を入れて、だしをとる。 何をやっているのか。矛盾そのものが自分である。 矛盾しているぞ、と告げ知らせるはたらきを智慧という。 南無阿弥陀佛

南無阿弥陀佛

南無阿弥陀佛はまことのかたち。 かたちが心を貫く。 貫いた心はかたちをどこまでもまことに仕上げていく。 貫いた心を、如来の一心という。 あぁ尊いまことのかたち。 無量寿命、無量光明よ。はかりなきいのちとひかりのまことよ。 かたちがなければわれら…

光明とは智慧、照らすはたらきとおっしゃる。 照らすとは暗がりを浮かび上がらせるものである。 暗がりとは何か、自分の心の動き、現実の姿のありようのことを指す。 すなわち、暗がりを暗がりと指し示すものを光明という。 暗がりは暗がりである、というと…

風が吹いている

風は目に見えない。 しかし、風は吹いている。どうやって風を認識するか? 身体で感じる。木々が揺れている。その相を通じて、風を知る。 大悲本願の風が吹いている。そこに念佛の響きがあるではないか。 形には必ず心がこもっている。これが本当に大切なこ…

無限大悲

無限の大悲をもって、無限に世間を安慰す(勝鬘経義疏 一乗章) 無限の大悲に相応する。 相応とは彼の佛の御名を称え、聞くこと。 称えさせ、聞かしめて、往生させ、成仏せしめるはたらきを 如来の本願力といい、このおはたらきを他力という。 自分が凡夫で…

一寸お休みします

別に書くこともないのですが、ちょっと休みたいと思います。 何となく、ちょっと疲れたのです。だから立ち止まります。 でも、一週間も経たないうちに、また書いているかもしれませんし、 書かないかもしれませんし、それはよく分かりません。 僕は適当です…

むなしさから逃げない

むなしい、という感情は静かだが、執拗に流れてくるもので、 何の意味があるのか?ということを突きつけてくる。 そして、それに負けて中々行動、実行することができない。 それは、昔も今も同じなわけで。 たとえ如来に出遇ったとしても、それは決してなく…

智慧海のごとくならん

三帰依文を拝読すると、このご文が出てきます。 自ら法に帰依したてまつる、まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。 弥陀の名号称えつつ 信心まことにうる人は 憶念の心常にして 佛恩報ずるおもいあり(ご和讃) ひとりだけ…