むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

迷い続けている

この世で悟りを開くことはない。 煩悩具足の身であるが故に、と 親鸞聖人は仰っている。とても悲しい。 ただし一つの道まします。念佛往生の道と 名づく。煩悩がなくなることはない。 因はすでに具足す。縁は刺激、遭遇。 果は必然して催される。苦悩する。 …

念佛往生のすがた

往生とは実践、生活であり、相続である。 一念の信を生活を通じ、体当たりを通して、 繰り返し巻き返し何度も何度も確かめさせて 下さるのが、念佛往生である。 念佛は大悲の相である。回向下さること、 かたじけなく思う。 南無阿弥陀佛

唯信仏語決定依行

親鸞聖人、愚禿鈔にいわく (西本願寺真宗聖典p522-523) 第五には、 唯仏語を信じ決定して行による、と。 第五の唯信仏語について、三遣、三随順、 三是名あり。 掘り下げて確かめる。 親鸞聖人は結局何を伝えて下さったのか? 唯仏語を信じ決定して行によ…

結果は過程を経る

結果を出さなければならない。 ごもっとも。 しかし、こうも思う。 過程を経ない結果はありえない。 時間をかけずに、如何に儲けるか。 こういう価値観が大半を占めている。 たとえ短期間で結果は出なくても、 何度転んでも、立ち上がり続け、 這いつくばっ…

本願ぼこりについて

浄土真宗における信心とは、 二種深信である。 機の深信、法の深信。 自身、わたくしは決してタスカラヌ存在で あり、ずっと流転し続けてきたし、今も 娑婆に縛られている。悪業を根本的に 止める力が欠如していると知らしめられる。 善導大師のお言葉は、こ…

生きた佛法

佛法とは生きたおはたらきである。 それは言葉だけで理解するものではなく、 現実を通し、身を通し、体解(たいげ) すべきものである。 お寺、僧侶を経済的価値観で計っては ならない。経済的価値観は、 必ず我が身にふりかかる。必然的に。 因果応報、自業…

聞法のはじめ

今年最初の聞法のご縁だった。 まず誓願ありき、誓いの御名ありき。 専修念佛。まずお念佛を申し、耳に聞く。 聞名をたもつ。 称えやすくたもち易い形にまで仕上げた 念佛を聞く。 形なき大悲が敢えて形をあらわしたのが 一声の念佛なるぞ。 善知識の仰せ、…

往生わが分限にあらず、如来の分限なり

いくら頑張っても人間には分限がある。 なんぼ考えてもわからない領域がある。 念佛の信心起こるは ひとえに法蔵菩薩の願心に依る。 念佛往生をたもち、果たし遂げるは ひとえに弥陀の住持に依る。 わが名を称えよの仰せに従い、念佛を申し、 聞くのがわが分…

寛容さを培いたい

自分と違う価値観を認めてあげよう。 いつの間にか同一、 均一でなければ許されないような状況に なっていて、とても窮屈で息苦しい。 常識、定説。慣習。はみ出したり、 遅かったり、違っていたりしてもいいじゃないか。 人知れず、存在を保つのは疲れるん…

忍耐は練達を

一年を振り返ると、またたく間だったような 気がするが、実りある一年だった気もする。 何が実りかというと、言葉にはならないのだが。 年末に次の言葉に出会った。 苦難は忍耐を。忍耐は練達を。 練達は希望を生む。 キリスト教のお言葉らしい。 練達とは柔…

ボヘミアン・ラプソディー

先日、ボヘミアン・ラプソディーという 映画を観た。 フレディー・マーキュリーという人、 クィーンというバンドのお話だった。 感想は、個人的に非常によかったのだが、 映画を通して、 自分が気がついていなかった、 いや、薄々感じてはいた寂しさ、 すな…

所在

娑婆には自分が自分でおれる場所がない。 本当にすべてさらけ出すこともできない。 また、 自分を受けとめうるものはいない。 如来とは浄土であり、浄土は如来であると いえよう。 寂滅、寂静、無為涅槃。こういう言葉に 心惹かれる。求めている世界である。…

ただ聞かせて頂くばかり

本願力回向で往生せしめられる。 平等の慈悲にもよおされて、 あまねく一切を摂せんとわれらのために 立ち上がってくださったのが、法蔵菩薩で あると教えて頂く。 いちいちの本願にのたまわく、 われ汝を往生させずば、誓いて佛になること あることなし、と…

主体性の回復

主体性は純粋な願望から生まれる。 本願は純粋、即ち一心である。 信心決定とは、存在の回復、 捨てたくなるような人生を奪い返すと、 和田先生は仰った。曽我量深先生は、 物質に精神が支配されているのが、 我々の通常の有様だと仰っている。 如来の本願を…

南無阿弥陀佛のおこころ

浄土真宗は南無阿弥陀佛におさまる。 こう述べても差し支えないだろう、これで存 在の決着がつくからである。 久遠の願いが南無阿弥陀佛によって成就せしめられるからである。 その故は、信心の体は南無阿弥陀佛、 信心を開き発してくださるは南無阿弥陀佛の…

真実に出遇う

人間は真実を掴むことはできない。 即ち有限なる故に。 真実は無限なり、はかりなきいのち、 はかりなきひかりと仰せられる。 掴むこと能わずとも値遇することは できる。即ち乃至十念若不生者不取正覚の 誓いに帰命する一念の信心起こるとき、 摂取不捨の大…

佛語を頂く

平素のやりとりの中で、佛語を聞く場面が ある。あぁ有り難いことやと思う。 懸命、ひたむきな姿に如来が宿る。 真実に至るという意味の曹洞宗のお言葉。 佛縁のない方から聞くと特に有り難い。 ちゃんと如来がはたらいておられると 安心するのであります。 …

煩悩は苦しいがそれだけでは終わらない

他の方はどうかしらないが、 まぁわが煩悩は静まらず、落ち着きがない。 他者を責め、今与えられている境遇にも 感謝がない。不満ばかりである。 頂いた佛恩を忘れて、まことに粗末な 有様であります。そういう心しかない存在が 自分であると知らされるので…

閉)なぜ自力では助からないのか⑦

もはや自力にこだわる必要なし。 仏さまが常にわれらと共に居て下さる。 憶念とは他力を表す。仏さまがいだきとり、 心配するな、必ず往生させると喚んで 下さる。娑婆は苦しく、悲しく、全く孤独で あるが、仏さまはあたたかい。 今、ここに、助からぬわれ…

師は弟子に出遇い成就する

大切なことに気がついた。 師は弟子に見出されることを通じて、 初めて師として成就するのだと。 法然聖人は親鸞聖人に勢至菩薩の化身に違い ないと見出された。そこで法然聖人自身も 救われたのだと思う。 お釈迦様は決して自分は如来であるなどとは 言わな…

諸悪の根源

朧げながら、次第に明らかになってきた。 なぜここが娑婆で、自分は凡夫であるか。 争いが止まず、絶えず衝突と摩擦を繰り返すのか。 無明、すなわち、無知である、無知が 存ずる故である。 知らないから、無関心だから、 相手を知ろう、受け止めようともが…

知らせたいことがあるから、呼びかける。 召喚とは、喚ばふ、喚びづめである。 わざわざ名となり、声にまでなって、 南無阿弥陀佛と呼びかけて下さる。 文句のつけようがない。 南無阿弥陀佛

不退転地

親鸞聖人の恩徳を偲び、各地では報恩講のお勤めがなされている。 昨日は正信念佛偈を拝読した。 不退の位に摂取される、このことが人身を受 けた所詮であると、しみじみ思う。 不退転とは、菩薩の階梯で表現されるところの四十一段目、 初歓喜地において、初…

不可思議光如来

無量寿如来に帰命し、 不可思議光に南無したてまつる(正信念佛偈) 聴聞の場に座らせて頂くと、ふと、思う。 なんで阿弥陀佛の本願を聞いているのだろうかと。 なぜ今、この場にいるのだろうと。 全く分からない。 しかし、佛法に照らされるところの自分は …

迷ったら帰ればいいんだよ

迷ったらいつでも大悲に帰ればいい。 大悲の相が南無阿弥陀佛。 念佛を申せばなむあみだぶつと聞こえる。 その言葉は如来回向の大行。すなわち、 共に居る、必ず往生させる、任せよの仰せ。 いつでもどこにいようとも、助けるの仰せは 変わらない。 念佛を申…

なぜ自力では助からないのか⑥

自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、 わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。( 大谷派真宗聖典 p541一念多念文意) 親鸞聖人のお言葉であります。 わが、というところに驕慢が潜んでいる。 すなわち、やればできる、という…

娑婆世界は苦しい

新しい視点を得て、改めて観察するに、 ここは娑婆世界なのだなと痛みを感じる。 あたたかいやりとりがない。 お互いに無関心であるし、自分自身も 縁のない衆生に対して関心が全くわかない。 こういう自分と世界にどう関わればよいか。 難しい問題がまた露…

宝探し

十地経、第八地には非常に重要なことが含まれている。 佛法がありとあらゆるものに含まれているから、味わい尽くしなさいと、 菩薩大士は諸仏から告げられる。 起知門を授与したまう。 (大乗仏典⑧十地経 荒牧典俊訳 中央出版p248) 故に涅槃にも拠らず、生…

なぜ自力では助からないのか⑤

一念一刹那も清浄ならざることなし。 これは法蔵菩薩のすがたである。 すなわち憶念であり、その心は一心。 助からぬわれらを必ず往生させるという決意であり、大悲である。 念佛は実は最も難しい。人間の有様に合わないのだ。 難しいものを価値ありと見出し…

なぜ自力では助からないのか④

根拠なき自信。これは無明の一側面である。 知るべきことを知らぬ、見失っている、 忘れ果てている。 何とかなる。今までも何とかなってきた。 だから、きっと。 確かに生きていくことに関しては、必ず努力は必要である。 ここは娑婆世界であり、競争の社会…