むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

不退転の相ー知進守退

このところ、停滞というか沈滞というか、 ことばを探しているような気がします。 不退転という言葉を聞くと、一直線にまっすぐ進むような気がしました。 しかし、本当の不退転とはこのように思っています。 何度も立ち止まる。迷い、傷つき、傷つけながらも…

名無往生文  聴聞

聴聞すべきことは、ただ一つ。 如来は、わたしに対して、何と仰っているか? タスカラヌ者に何と仰っているか? タスカラヌ者だからこそ、必ず往生させる、と告げ知らせるのが、 この浅ましい口から出てくださり、 今耳に聞かしめられる南無阿弥陀佛であろう…

名無往生文 大乗 浄土真宗

煩悩はそのままである。 煩悩がなくなるわけではない。それどころか、いよいよ煩悩が深い。 浅ましいわが身の現実はいよいよ悲惨である。食べること、差別し、区別することを やめることができない。むしろそれを楽しんでいる。 埋没している。埋没とは、す…

愚者なりて往生す

親鸞聖人がご晩年に法然聖人から聞いたことを ご述懐されたお言葉です。 このお心を尋ねますに、念佛に帰れということでありましょう。 分かったような気分になる。助かったような気になる。 自分の思いはいらんのであります。 自分が助かるか助からないか知…

名無往生文 浄土

浄土は方向である。 浄土はあってもなくてもよいものではない。 なければならない、どうしても願わずにはおれない世界である。 人生は苦である。人間、自分は苦を孕んでいる。苦を身としている。 人間は苦を感受しうる存在である。なぜ人と生まれたか。 大悲…

月明かりを見て

光に一切へだてなし あさましき身の我にさえ 慈悲の光明あたたかく 智慧の光明清らかに 届いて下さる 弥陀の喚び声 浅ましい日暮しをやめることができない。 奪わずに、騙さずに、隠さずにはおれぬ自分のすがた。 すなわち助かりようが微塵もない。 だが、如…

名無往生文 八地 不動地

十地経にのたまわく、八地以上の菩薩の行は無功用である、と。 わたくしが考えまするに、七地以前の菩薩の眼目は自利である。 自利には限りがある。広がりと深さがなく、我執の習気を感じる。 聞其名号、大悲が届いたとき、大いなる歓喜が起こる。 それは刹…

名無往生文 佛徳讃嘆

親鸞聖人正信念佛偈にいわく、帰命無量寿如来 南無不可思議光 天親菩薩 無量寿経優婆提舎願生偈にいわく、 世尊我一心帰命尽十方無礙光如来願生安楽国 わたくし名無にいわく、 われ無限なる如来の大悲に帰命せしめられ、今ここで念佛を申し、耳に聞かせて頂…

名無往生文 われら人間の観察について

人間は多面的存在である。立体的である。 多面的とは次のような意である。 わたしは子である。わたしは兄である。わたしは孫である。 わたしは日本人である。わたしは男性である。わたしは父である。 わたしは祖父である。わたしは「役職」である。 気づくべ…

名無往生文について

浄土真宗において、タスケラレル法はすでに南無阿弥陀佛として 仕上げられています。しかし、われら衆生には機縁が 熟すまで南無阿弥陀佛を信受することが起こらない。 衆生に起こらないということは自分も助からないということである。 大乗の菩薩は無住処…

名無往生文 不退転について(位と行)

現在は西暦二○十八年八月の候なり。時は末法の頃なり。 佛教、われらが浄土真宗に言われるところの不退転に二の側面あり。 これ自身に已証されたところの功用なり。 一つには地不退という。凡夫地不退ともいう。 正しく自身は煩悩具足の凡夫、我生死出づるこ…

本願を証しする

弥陀の本願は見えない。今は如来を直接拝見することはできない。 教えはあるが、行がない。行ずる力がない。 法は弘めるものでなく、本当に教化を受けた人から自然に弘まるもの。 如来は我らに要求している。 法を証ししてくれ、と。法を表現してくれ、と。 …

無功用

達磨大師の言葉に、無所得があると聞いております。 曽我量深先生の言葉に、回向は表現であるというものがあります。 往生は表現であると僕は思います。そして、それを表現する人を 諸仏に等しい方々だと思います。そして、その方々は今も満ち満ちて おられ…

無明の闇を破するゆえ智慧光仏と名づけたり

この人はあなたにとっては、取るに足らないただの人かもしれない。 しかし、僕にとっては、かけがえのない、唯一無二の大切な人である。 僕はあなたの大切な人はわからない。 あなたは僕の大切な人がわからない。 互いにお互いの存在の尊さ、大切なものが何…

本願招喚の勅命

帰命は本願招喚の勅命なり(顕浄土真実教行証文類 行巻) 私のようなものは、如来の御名を称える資格はありません。 私のようなものは、煩悩と生死から離れることができません。 私のようなものは、誰かを傷つけずに、あるいは何かの命を奪わずに 生存するこ…

澄んだ瞳

夕暮れ時にすれ違った黒い盲導犬の瞳を見る。 彼は全く主人の目となっている。 横に寄り添い、黙っている。 彼は主人と一つになり、彼の眼は赤い夕日に照らされ、 透き通り、尊く澄んだ輝きを放っていた。 思いがけず、念佛を申さざるを得なくなった。 自分…

往生は慈悲の表現

法は広めるものではなく、 最も如来から教化されたひとを通して、 広まるものである。 これは真宗大谷派、和田稠先生の 真宗門徒という本の中にでる一節です。 僕にとって和田先生は往生の先生。 往生は念佛生活であり、具体的現実、 実際の生活で如何に浄土…

弥陀の本願

選択本願念佛とはわたしの原点であり、一切衆生の原点である。 自分は凡夫である。故に何度でも本願念佛の道から曲がっていく。 常にわが心身への楽を中心に考察し、行動する。 この身を具足している以上、煩悩を避けることはできない。 かといって、煩悩に…

喪失を機縁に

災害に被災するという感覚が分からなかったが、 こういうものなのだなと身を通して感じた。 言葉に出来ないが、ずっしり重いというか。 家族や親戚友人知人には直接的な被害は なくても、見慣れた景色や図書館を 思えば、なんとなく今日は胸が苦しかった。 …

無力さと非情を思う

有縁の地が豪雨で被害を受けた。見聞した場所が冠水した様子を見ると、心が痛む気がする。今は遠い地にいるし、そこに出向いたところで何ができるだろうか。またつくづく自分の非情さも感じる。この身と自分の心にはあたたかさがない。遠い。全然共感性がな…

十声の大悲

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 たった十声なりとも我が名を称えた者が 我が浄土へ往生しないならば、我佛になること あることなし。 念佛往生の誓願の御心を常に聞かせて頂く。 ただ称えよの仰せ。 必ず助けてやりたいという如来の…

信心のおはたらき

信心は分別に染まらない。 信心は如来より発起せしめられる。 信心は信知、知らしめて下さる。 それは何か。決して助からぬこと、 だからこそ本願によって念佛往生せしめられること。 信心は一心であり、開けば三心と言われる。 深心決定心相続心。 一心は如…

如来の仰せ

助けるでたのめ。 任せよと仰せ下さる如来を南無阿弥陀佛という。 仰せに帰順する、従う、託す。これが帰命の相。 念佛の行者は無相。無相故に印がない。わからない。 社会に溶け込んでいる。 違いがただ一つあるとすれば、その人は如来の仰せにしたがって、…

名も無き翁の話

彼は何も語らない。 彼ははたらきをなしている。 しかし、それは見えない。 誰からも見向きもされず、 気づかれず、感謝されることもない。 彼は黙っているが語らないのではなく、 語る必要がない。だから黙っている。 僕は彼のようになりたい。 知っている…

何も与えない形で与えられる

何かの形で与えられない。何も与えない形で与える。これが般若波羅蜜の智慧、如来のはたらきである。自分は形ある、感受できることばかり欲しがる。不可思議の佛法、智慧のはたらき。般若波羅蜜、信知させるはたらき。いつ死んでも必ず往生させて下さる願力…

えにし

花が咲いている。 鳩が歩いている。 虫が止まる。 人に出会う。 不思議なことだと思う。 なぜこの人とともにいるのだろうと。 因縁、縁起生によって成り立っていると 聞いている。 なぜ出会うのだろう。なぜ共に時間を 過ごすのだろう。 考えてもわからない…

信心決定後の人生について

如来に出遇う。 これは人間にとって、決定的な出来事であり、古来次のような表現で表されてきた。 聞其名号信心歓喜乃至一念至心回向願生彼国即得往生住不退転(佛説無量寿経 第十八願成就文) 不退転地に至る(沢山の経典で拝見しているため、割愛) 信心決…

愚者になりて往生す

浄土宗のひとは愚者になりて往生す。 親鸞聖人は法然聖人からこう聞いたと述懐される。 愚者とは煩悩具足の自身を如来に託したものである。 煩悩具足とは拭いされるようなものではなくて、 自分は煩悩のほかに何もない、どうにもならないという ことだと実感…

ただ称えよの仰せ

生き死にの道はただただ南無阿弥陀ただ称えよの仰せばかりぞ木村無相さんの最後の詩だと聞いている。弥陀の本願とは、たった十声なりともわが名を称えるばかりで必ず往生させる、もし叶わずば佛にならじという驚くべき大悲の仰せであるとは知らなかった。称…

欲界

ここは娑婆ともいい、欲界とも言うと、聞いている。生まれる、食べる、死ぬ、また生まれる。食物連鎖、弱肉強食、こういう有様に対して、自分は、あまりに無力であり、無知であると思いしらされる。三帰依文の中で、最近は智慧海の如くならん、という響きが…