むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

弥陀の本願

選択本願念佛とはわたしの原点であり、一切衆生の原点である。 自分は凡夫である。故に何度でも本願念佛の道から曲がっていく。 常にわが心身への楽を中心に考察し、行動する。 この身を具足している以上、煩悩を避けることはできない。 かといって、煩悩に…

喪失を機縁に

災害に被災するという感覚が分からなかったが、 こういうものなのだなと身を通して感じた。 言葉に出来ないが、ずっしり重いというか。 家族や親戚友人知人には直接的な被害は なくても、見慣れた景色や図書館を 思えば、なんとなく今日は胸が苦しかった。 …

無力さと非情を思う

有縁の地が豪雨で被害を受けた。見聞した場所が冠水した様子を見ると、心が痛む気がする。今は遠い地にいるし、そこに出向いたところで何ができるだろうか。またつくづく自分の非情さも感じる。この身と自分の心にはあたたかさがない。遠い。全然共感性がな…

十声の大悲

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 たった十声なりとも我が名を称えた者が 我が浄土へ往生しないならば、我佛になること あることなし。 念佛往生の誓願の御心を常に聞かせて頂く。 ただ称えよの仰せ。 必ず助けてやりたいという如来の…

信心のおはたらき

信心は分別に染まらない。 信心は如来より発起せしめられる。 信心は信知、知らしめて下さる。 それは何か。決して助からぬこと、 だからこそ本願によって念佛往生せしめられること。 信心は一心であり、開けば三心と言われる。 深心決定心相続心。 一心は如…

如来の仰せ

助けるでたのめ。 任せよと仰せ下さる如来を南無阿弥陀佛という。 仰せに帰順する、従う、託す。これが帰命の相。 念佛の行者は無相。無相故に印がない。わからない。 社会に溶け込んでいる。 違いがただ一つあるとすれば、その人は如来の仰せにしたがって、…

名も無き翁の話

彼は何も語らない。 彼ははたらきをなしている。 しかし、それは見えない。 誰からも見向きもされず、 気づかれず、感謝されることもない。 彼は黙っているが語らないのではなく、 語る必要がない。だから黙っている。 僕は彼のようになりたい。 知っている…

何も与えない形で与えられる

何かの形で与えられない。何も与えない形で与える。これが般若波羅蜜の智慧、如来のはたらきである。自分は形ある、感受できることばかり欲しがる。不可思議の佛法、智慧のはたらき。般若波羅蜜、信知させるはたらき。いつ死んでも必ず往生させて下さる願力…

えにし

花が咲いている。 鳩が歩いている。 虫が止まる。 人に出会う。 不思議なことだと思う。 なぜこの人とともにいるのだろうと。 因縁、縁起生によって成り立っていると 聞いている。 なぜ出会うのだろう。なぜ共に時間を 過ごすのだろう。 考えてもわからない…

信心決定後の人生について

如来に出遇う。 これは人間にとって、決定的な出来事であり、古来次のような表現で表されてきた。 聞其名号信心歓喜乃至一念至心回向願生彼国即得往生住不退転(佛説無量寿経 第十八願成就文) 不退転地に至る(沢山の経典で拝見しているため、割愛) 信心決…

愚者になりて往生す

浄土宗のひとは愚者になりて往生す。 親鸞聖人は法然聖人からこう聞いたと述懐される。 愚者とは煩悩具足の自身を如来に託したものである。 煩悩具足とは拭いされるようなものではなくて、 自分は煩悩のほかに何もない、どうにもならないという ことだと実感…

ただ称えよの仰せ

生き死にの道はただただ南無阿弥陀ただ称えよの仰せばかりぞ木村無相さんの最後の詩だと聞いている。弥陀の本願とは、たった十声なりともわが名を称えるばかりで必ず往生させる、もし叶わずば佛にならじという驚くべき大悲の仰せであるとは知らなかった。称…

欲界

ここは娑婆ともいい、欲界とも言うと、聞いている。生まれる、食べる、死ぬ、また生まれる。食物連鎖、弱肉強食、こういう有様に対して、自分は、あまりに無力であり、無知であると思いしらされる。三帰依文の中で、最近は智慧海の如くならん、という響きが…

原点

信心とは原点である。自分が起こせるものではないが、自分に起こらしめられたものである。帰入功徳大宝海、入正定之聚と親鸞聖人は仰る。信心と念佛が交互にはたらいて下さり、凡夫の私を迷いの身に引き戻す。そうすと、功徳大宝海の智慧の波が煩悩、我執、…

ひたすらに

わが名を称えるばかりで、必ず往生させる。われを憑め。南無というは帰命、すなわち本願招喚の勅命なりと親鸞聖人は残してくださった。今はただ念佛が聞こえるほかに何もない。自分に信心はない。しかし、阿弥陀如来に揺るぎない智慧と久遠の大悲がまします…

生苦

生苦を感じる。 人は老い、病で死ぬのではなく、 生まれた、生まれるが故に 死に至る。 無明が存続する限り、また 生死流転すると如来は仰る。親鸞聖人は法然聖人の選択集より引文されている。 還来生死輪転家 決以疑情為所止(以下漢字七文字の句は全て正信…

佛法

自分の全存在をかけてぶつかっていけば、 必ず法蔵菩薩は本願念佛をもって相応して下さる。 いのちを投げ入れるだけの価値を包含する故に、 釈迦如来滅度以来、二千五百年以上の歴史に堪えて 下さったのだろう。 釈迦如来や親鸞聖人がご覧になった月を今見上…

専修念佛

汝、助からぬ者よ、専らわが名を称えよ。必ず助ける。専ら念佛せよの仰せに帰順する。佛の願に順ずるが故に決定往生のおもいをなすべし。親鸞聖人と法然聖人の思し召しは不二であろう。われに別の道なし。専ら弥陀に帰命致します。南無阿弥陀佛

後念相続

縦と横と高さ、それに加えて真実の時間。 人間世界は三次元で、有限であるが故に広げようとしたり、 はみ出たり。故に衝突と摩擦と煩悩は止む暇がない。 しかし、如来は常住であり、念佛に帰れば智慧がはたらき 生死即涅槃、色即是空空即是色、そのままであ…

柔軟心の利益

我執は否定されることをかなり嫌がる。だから怒り腹立ちが起こる。避けられない。避ける力がない。それに対し柔軟心は衝撃を和らげる。だから言葉の通りただ聞けばいい。足りなければ次に活かせばいいし、的を得ないならば差し置いておけばいい。十地経には…

還相廻向

われらは本願によって大悲されている。 すなわち罪悪甚深煩悩熾盛のわれらをたすけんがために、 平等の慈悲に催されて建立された願であるが故に。 南無阿弥陀佛とは完全にわれらに調整された願であり、 敢えて相を摂られた大悲である。 無碍とは観察であり、…

玉城康四郎先生

ダンマ、如来が業熟体に 顕わになり、滲透し、 通徹しつづける。 (ダンマの顕現p252) たまたま先生の本を知る機会が あって、拝読した。 自分は学者の方の本や話はほとんど 受け付けない。 自分から遠い気がするから。 玉城先生のことばは哲学的かつ 求道…

いよいよなんともない

いよいよ元の木阿弥になってきた。聴聞してもまるで頭に入らない。ただ聞くばかり。分かるとか解釈はいらない。即とか不二ということばさえ不十分で、ただ南無阿弥陀佛を聞くばかり。なんのことやら南無阿弥陀佛。やっと3年、まだ3年、沢山いい出会いをいた…

汝の信心を述べよ

ある座談会のこと。 その人は以前別の聞法会で顔を拝見したことのある方。 年齢は70歳前後。 真宗の救いとは何か、それは一切のことを有難く感受することだ、 と要するに こんなことを言っていた。念佛をしてもダメだ、と。 面々が述べ、僕が自分の領解を述…

罪悪甚深

ただ座ろうとしただけなんだ。石に手を置いた。動く赤い点に気づく。あぁ、もう遅い。左手の下に赤い点がついた。虫を殺した。無知が罪悪甚深ということの中身だろう。どうやっても助からぬ身である。すまないと思っているが、この思いはやがて遠くへいって…

菩薩大士

声聞、縁覚にとどまるようではダメである、大乗の菩薩大士は戒める。自利に留まらず、他利、すなわち一切衆生の成仏をともに目指すものを菩薩大士という。なぜ声聞、縁覚ではダメかというと、自利には限界があるからである。自分が分かったとか助かったとか…

智慧

如実知見。いついかなる場合においても、そのままを観察すること。いついかなる場合とは、行住坐臥不問時節ということ。すなわち、いつでもどこでも、自分の都合を通さず、直視すること。そのままを止観する。そこに実相がある。実相とは縁起である。縁起と…

彼はわれだったかもしれない

さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし(歎異抄) 法治国家である以上、国が定めた一定の規範の中で、 自由を享受し、義務を果たさねばならない。 また規範を逸脱する行為には社会的法的制裁が課せられる。 彼は確かに弱いのかもしれない。酒に…

本願名号正定業

本願の名号は誓いの御名なり。誓いの御名とは法蔵菩薩の大悲なり。法蔵菩薩の大悲とは、我が名を称える衆生が必ず我が国に生まれ成仏するようにという願なり。往生成仏は法蔵菩薩の願なり。煩悩具足のわれら、大悲願力の名号、南無阿弥陀佛によって必ず往生…

帰る

元の木阿弥に帰る。 それが無上であろう。 相は同じでも全く別の世界を取り戻して帰ってくる。 別の世界でもなくて、ただ忘れ果てていたものなのだろう。 ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし。 この言葉は想起させてくれた。 親鸞聖人のご苦労、如来…