むなしさとともに

暗黒の最中、真実の声が聞こえる。大悲の御声。南無阿弥陀佛

にんげん

2泊3日研修会のお知らせ

このブログを見て下さっている方がどのような皆様なのか僕は存じ上げません。しかし、恐らく人生に対して、何らかの課題や疑問を持ち、立ち向かっておられる方々じゃないかなと思うのです。なので、もしよければ共々に聴聞の場でお会いできたら、とそういう…

閑話休題

偏らない。このことを初期の教典には繰り返し書かれている。最近、仏教の本をしっかり読もうとか、学ぼうとか、身につけようとか、そういう気持ちがない。どちらかというと、世間的な知識、技術、思考に重点がかかっている。どうやら、やじろべえのように、…

十地の階梯③歓喜地 死の畏れなし

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p41 (3)かの菩薩は、自我に執着する妄想(我見)が消滅している。したがって、自我の観念も存在しない。それゆえに、かの菩薩には、死んでしまったらどうしようという不安もない。 煩悩は見えると力を失う。明…

何が燃え続けているのだろうか

夢を見た。炎が燃えている。この炎は自分が点けてしまったのか、他者が蒔いたものなのか分からない。忽然と点いたものである。 何が燃えているのか分からない。ただ、燃えているそのものは自分が拵えてきたものに違いない。ひどく黒ずんでおり、もうすでに焼…

もう一度立ち帰る

唯識を読んでいた途中で、心が移り変わり、 専ら経済や仕事の本を手に取っています。 知らないことばかりで、また、世間には 立派な方が沢山いるのだなぁと感じます。 他者になる必要はないのですが、優れた 思想、実践、過去の軌跡は知りたいのです。 現実…

残響

聞法会の残響が鳴っている。 残響、薫習、修道という言葉には 何ともいえない大切なことが含まれているが 言葉は迷いの範疇のものなので、 とても表現することはできない。ただ、 梵鐘の音が暫く鳴り続いていて、静かに 解けていくような。 そして、また日常…

静けさ

静けさを希求している気がする。 物事が終わり、尽き果てる静けさ。 始まる前の静けさ。 静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、 一途に春を待つ桜の木のような。 なんとも言えないが、 やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。 寂静寂滅は逃げることではなく、…

油断せずにいこう

まだ道は半ば。否、半ばにも達していない。 でも、確かに始まっている。 油断せずにいこう。慢心というぬかるみに 足を取られるが、着実に一歩ずつ。 転けてもまた立ち上がろう。擦りむけは いずれ治る。 南無阿弥陀佛

ともに歩む

自分だけ助かって終わるのではなくて、 同じ地平に立ってともに本願念佛を仰ぐ。 ともに尋ねていく。ともに聴聞する。 そこには自分一人では決して辿り着けぬ 何かがある。それを寂静とか涅槃というのだ と思う。すべて終わった世界。また始まる 世界。往生…

マシだと思う心(追記あり)

A>B A=自分 B=他者 できないより、できる方がいい。 ないより、ある方がいい。 自分はあの人よりマシだ。 この心が流転の根、地獄の元であろう。 死骸のような心。腐り切った心。 どうしてもこの心を離れることが できない。故に無始より流転しているから…

聖胎長養

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖胎長養 また言わく、信は道の元とす、功徳の母なり。 一切もろもろの善法を長養す。 (親鸞聖人 顕浄土真実教行証文類 信の巻) 華厳経のお言葉を引かれておられる。 念佛往生とは念佛の信を長養することだと 思う。現実…

一隅を照らす

誰からも見向きもされず、大事にされず。 代わりは幾らでも居て、不安と老いに 怯えている。 だからといって、何もしない訳にはいかない。 弱者には弱者の意地があり、家族があり、 内に秘めた涙もある。 だからこそ、黙ってすべきことに 打ち込む。ことと一…

目的と手段が統合される

日常では、目的が先で、手段が問われる。 むなしいとは、目的や意味を見失っていると 言えないだろうか。だから、白けたり、 真面目にするのが馬鹿馬鹿しく思える。 今、お前はどうだと問われるとする。 われ、今はただ一向に行ずるのみ。 もはや結果、ある…

雑感

歓びも他者を傷つける。 この鈍感さを罪というのだろう。 そうすると罪を犯さない人間は一人も いないと思う。ならば、この歓びも 捨てて、ただ一人の人間に還ること、 還ろうとあがくことのみが 人間を回復しうるただ一つの道ではない だろうか。悲しみを忘…

冷静に淡々と

元号が変わった。 平成最後。新しい時代。 テレビはほとんど見ないので、繰り返し こういう言葉が使われていること、 退位と即位の報道が飛び交っているのは とても違和感がある。何か国民に印象づけ ようという意図があるように思う。 一年に何度元号を思い…

確証を得る

ばたばたしているが、 物事、やりとりを通して自然と気づきが 去来したり、自分の目を通し、 人の言葉と姿を見て、その人となりを 教わることがある。 また確証を得る、押えるということが 非常に大切だと、身を以て体感した。 ただし、限りある身である故に…

弱いものとして

正直、自分は存在すべきものではないと 思っている。どれだけの嘘と偽りと 殺生と煩悩にまみれて生きてきたか。 生きているか。これからも生きていくか。 本当に浅ましいし、嘆くべきことだが、 眠りにつけないほどの慚愧はないし、 また明日も一日を過ごす…

全く仏法が身につかない

教えを聞き、念佛を申す。 色々やってみる。柔らかなことば。 応対。怒りの抑制。悲しいかな。ちっとも 変わらず、浅ましく情けない有様であり、 肉魚を食べ、酒を呑み、嘘や媚び諂い、 両舌、ごまかし、偽り、偽善にまみれきって いるが、どうしても離れる…

とどまる

何というか、宗教的であろうとする、と いうよりは、ただの一個の個体というか、 自身というか、そういう処、自分の居り場、 足元に帰る、足元を丁寧に掘り下げていく 作業をしたい、そんな気がする。 信者ではなく、ただのひと。 ただのどこにでもいる、だ…

煩悩が胸を焦がす

年末年始に考えたことが現実に起きた。 不相応の出来事であり、個人的には 理解も納得も全くできない。 何故ならその理由が明瞭かつ筋道の 通ったものではないからだ。 明らかに理不尽である。 今、妬みの煩悩が胸にある。 どうやら煩悩が起こる種を心身の底…

悲しみの大地を踏みしめて

極重悪人唯称佛(正信念佛偈) 自分自身は決して助からぬ存在であり、 無有出離之縁と釘を打たれている。 だからと言って、自分だけの救いに留まる ことはできない。そんなものが何になる。 見よ。この悲惨で悲しみと嘆きと疲労と 空虚と差別と崩壊に満ちた…

一向専修

他者は自分の往生に責任をとることはない。 厳粛なひとりの問題、代わりは利かない。 自分は一向に専ら突き進みたいと思う。 何故なら他者は既に助かっているかも しれないが、自分はやはり助からないので ある。ただ何もないわけではなく、 明らかな方向が…

足掻く

いくら煩悩にまみれているといえども、 それは何もしない、傍観し、自分だけ 有難がることを肯定する理由にはならない。 助からない存在であることを、現実から 目を逸らす理由にしない。 いよいよ現実を観察し、自分自身に 回向された如来の信心を 表現しな…

ひとにであうこと

人間の人生において、決定的な ことの一つに、ひとにであうことがある。 岐路では必ず大事なひとにであってきた。 忘れられぬことばがある。 だから、今がある。 南無阿弥陀佛

動きを観る 観察、止観

人間の言葉は一見美しく、甘美に聞こえる。 その言葉の本質を、その人の言葉がまことか 否かをはかるのは具体的なその人の姿、 佇まい、行動である。人相や声色、 匂いにも、 現れる。嫌な気配を感じると、 身は自然と距離を置く。近寄り難い。 僕は言葉は信…

迷い続けている

この世で悟りを開くことはない。 煩悩具足の身であるが故に、と 親鸞聖人は仰っている。とても悲しい。 ただし一つの道まします。念佛往生の道と 名づく。煩悩がなくなることはない。 因はすでに具足す。縁は刺激、遭遇。 果は必然して催される。苦悩する。 …

生きた佛法

佛法とは生きたおはたらきである。 それは言葉だけで理解するものではなく、 現実を通し、身を通し、体解(たいげ) すべきものである。 お寺、僧侶を経済的価値観で計っては ならない。経済的価値観は、 必ず我が身にふりかかる。必然的に。 因果応報、自業…

寛容さを培いたい

自分と違う価値観を認めてあげよう。 いつの間にか同一、 均一でなければ許されないような状況に なっていて、とても窮屈で息苦しい。 常識、定説。慣習。はみ出したり、 遅かったり、違っていたりしてもいいじゃないか。 人知れず、存在を保つのは疲れるん…

忍耐は練達を

一年を振り返ると、またたく間だったような 気がするが、実りある一年だった気もする。 何が実りかというと、言葉にはならないのだが。 年末に次の言葉に出会った。 苦難は忍耐を。忍耐は練達を。 練達は希望を生む。 キリスト教のお言葉らしい。 練達とは柔…

ボヘミアン・ラプソディー

先日、ボヘミアン・ラプソディーという 映画を観た。 フレディー・マーキュリーという人、 クィーンというバンドのお話だった。 感想は、個人的に非常によかったのだが、 映画を通して、 自分が気がついていなかった、 いや、薄々感じてはいた寂しさ、 すな…