むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

にんげん

聖胎長養

また言わく、信は道の元とす、功徳の母なり。 一切もろもろの善法を長養す。 (親鸞聖人 顕浄土真実教行証文類 信の巻) 華厳経のお言葉を引かれておられる。 念佛往生とは念佛の信を長養することだと 思う。現実の生活がどのような意味に 転換されるかは、…

一隅を照らす

誰からも見向きもされず、大事にされず。 代わりは幾らでも居て、不安と老いに 怯えている。 だからといって、何もしない訳にはいかない。 弱者には弱者の意地があり、家族があり、 内に秘めた涙もある。 だからこそ、黙ってすべきことに 打ち込む。ことと一…

目的と手段が統合される

日常では、目的が先で、手段が問われる。 むなしいとは、目的や意味を見失っていると 言えないだろうか。だから、白けたり、 真面目にするのが馬鹿馬鹿しく思える。 今、お前はどうだと問われるとする。 われ、今はただ一向に行ずるのみ。 もはや結果、ある…

雑感

歓びも他者を傷つける。 この鈍感さを罪というのだろう。 そうすると罪を犯さない人間は一人も いないと思う。ならば、この歓びも 捨てて、ただ一人の人間に還ること、 還ろうとあがくことのみが 人間を回復しうるただ一つの道ではない だろうか。悲しみを忘…

冷静に淡々と

元号が変わった。 平成最後。新しい時代。 テレビはほとんど見ないので、繰り返し こういう言葉が使われていること、 退位と即位の報道が飛び交っているのは とても違和感がある。何か国民に印象づけ ようという意図があるように思う。 一年に何度元号を思い…

確証を得る

ばたばたしているが、 物事、やりとりを通して自然と気づきが 去来したり、自分の目を通し、 人の言葉と姿を見て、その人となりを 教わることがある。 また確証を得る、押えるということが 非常に大切だと、身を以て体感した。 ただし、限りある身である故に…

弱いものとして

正直、自分は存在すべきものではないと 思っている。どれだけの嘘と偽りと 殺生と煩悩にまみれて生きてきたか。 生きているか。これからも生きていくか。 本当に浅ましいし、嘆くべきことだが、 眠りにつけないほどの慚愧はないし、 また明日も一日を過ごす…

全く仏法が身につかない

教えを聞き、念佛を申す。 色々やってみる。柔らかなことば。 応対。怒りの抑制。悲しいかな。ちっとも 変わらず、浅ましく情けない有様であり、 肉魚を食べ、酒を呑み、嘘や媚び諂い、 両舌、ごまかし、偽り、偽善にまみれきって いるが、どうしても離れる…

とどまる

何というか、宗教的であろうとする、と いうよりは、ただの一個の個体というか、 自身というか、そういう処、自分の居り場、 足元に帰る、足元を丁寧に掘り下げていく 作業をしたい、そんな気がする。 信者ではなく、ただのひと。 ただのどこにでもいる、だ…

煩悩が胸を焦がす

年末年始に考えたことが現実に起きた。 不相応の出来事であり、個人的には 理解も納得も全くできない。 何故ならその理由が明瞭かつ筋道の 通ったものではないからだ。 明らかに理不尽である。 今、妬みの煩悩が胸にある。 どうやら煩悩が起こる種を心身の底…

悲しみの大地を踏みしめて

極重悪人唯称佛(正信念佛偈) 自分自身は決して助からぬ存在であり、 無有出離之縁と釘を打たれている。 だからと言って、自分だけの救いに留まる ことはできない。そんなものが何になる。 見よ。この悲惨で悲しみと嘆きと疲労と 空虚と差別と崩壊に満ちた…

一向専修

他者は自分の往生に責任をとることはない。 厳粛なひとりの問題、代わりは利かない。 自分は一向に専ら突き進みたいと思う。 何故なら他者は既に助かっているかも しれないが、自分はやはり助からないので ある。ただ何もないわけではなく、 明らかな方向が…

足掻く

いくら煩悩にまみれているといえども、 それは何もしない、傍観し、自分だけ 有難がることを肯定する理由にはならない。 助からない存在であることを、現実から 目を逸らす理由にしない。 いよいよ現実を観察し、自分自身に 回向された如来の信心を 表現しな…

ひとにであうこと

人間の人生において、決定的な ことの一つに、ひとにであうことがある。 岐路では必ず大事なひとにであってきた。 忘れられぬことばがある。 だから、今がある。 南無阿弥陀佛

動きを観る 観察、止観

人間の言葉は一見美しく、甘美に聞こえる。 その言葉の本質を、その人の言葉がまことか 否かをはかるのは具体的なその人の姿、 佇まい、行動である。人相や声色、 匂いにも、 現れる。嫌な気配を感じると、 身は自然と距離を置く。近寄り難い。 僕は言葉は信…

迷い続けている

この世で悟りを開くことはない。 煩悩具足の身であるが故に、と 親鸞聖人は仰っている。とても悲しい。 ただし一つの道まします。念佛往生の道と 名づく。煩悩がなくなることはない。 因はすでに具足す。縁は刺激、遭遇。 果は必然して催される。苦悩する。 …

生きた佛法

佛法とは生きたおはたらきである。 それは言葉だけで理解するものではなく、 現実を通し、身を通し、体解(たいげ) すべきものである。 お寺、僧侶を経済的価値観で計っては ならない。経済的価値観は、 必ず我が身にふりかかる。必然的に。 因果応報、自業…

寛容さを培いたい

自分と違う価値観を認めてあげよう。 いつの間にか同一、 均一でなければ許されないような状況に なっていて、とても窮屈で息苦しい。 常識、定説。慣習。はみ出したり、 遅かったり、違っていたりしてもいいじゃないか。 人知れず、存在を保つのは疲れるん…

忍耐は練達を

一年を振り返ると、またたく間だったような 気がするが、実りある一年だった気もする。 何が実りかというと、言葉にはならないのだが。 年末に次の言葉に出会った。 苦難は忍耐を。忍耐は練達を。 練達は希望を生む。 キリスト教のお言葉らしい。 練達とは柔…

ボヘミアン・ラプソディー

先日、ボヘミアン・ラプソディーという 映画を観た。 フレディー・マーキュリーという人、 クィーンというバンドのお話だった。 感想は、個人的に非常によかったのだが、 映画を通して、 自分が気がついていなかった、 いや、薄々感じてはいた寂しさ、 すな…

所在

娑婆には自分が自分でおれる場所がない。 本当にすべてさらけ出すこともできない。 また、 自分を受けとめうるものはいない。 如来とは浄土であり、浄土は如来であると いえよう。 寂滅、寂静、無為涅槃。こういう言葉に 心惹かれる。求めている世界である。…

ただ聞かせて頂くばかり

本願力回向で往生せしめられる。 平等の慈悲にもよおされて、 あまねく一切を摂せんとわれらのために 立ち上がってくださったのが、法蔵菩薩で あると教えて頂く。 いちいちの本願にのたまわく、 われ汝を往生させずば、誓いて佛になること あることなし、と…

煩悩は苦しいがそれだけでは終わらない

他の方はどうかしらないが、 まぁわが煩悩は静まらず、落ち着きがない。 他者を責め、今与えられている境遇にも 感謝がない。不満ばかりである。 頂いた佛恩を忘れて、まことに粗末な 有様であります。そういう心しかない存在が 自分であると知らされるので…

師は弟子に出遇い成就する

大切なことに気がついた。 師は弟子に見出されることを通じて、 初めて師として成就するのだと。 法然聖人は親鸞聖人に勢至菩薩の化身に違い ないと見出された。そこで法然聖人自身も 救われたのだと思う。 お釈迦様は決して自分は如来であるなどとは 言わな…

迷ったら帰ればいいんだよ

迷ったらいつでも大悲に帰ればいい。 大悲の相が南無阿弥陀佛。 念佛を申せばなむあみだぶつと聞こえる。 その言葉は如来回向の大行。すなわち、 共に居る、必ず往生させる、任せよの仰せ。 いつでもどこにいようとも、助けるの仰せは 変わらない。 念佛を申…

娑婆世界は苦しい

新しい視点を得て、改めて観察するに、 ここは娑婆世界なのだなと痛みを感じる。 あたたかいやりとりがない。 お互いに無関心であるし、自分自身も 縁のない衆生に対して関心が全くわかない。 こういう自分と世界にどう関わればよいか。 難しい問題がまた露…

課題と並行して進めていきます

課題は課題として、しっかり考えますが、 僕自身は何者にも縛られずに、 自由に念佛の信心を確かめていきたいのであります。 流れるままに、徒然なるままに。 本当に求めていたこと、今も求めていることは、 まことの自由・まことの平等・まことの連帯。 こ…

にんげんがいた

好い時を過ごした。 にんげんがたくさんいた。 まだ言葉にまとまらないが、終わった静けさ、余韻がある。 不思議な集まりだった。 南無阿弥陀佛 帰命無碍光如来 南無不可思議光 南無三宝

声のほとけさま

11月1日、ブログを始めてから丸三年の月日が経ちました。 こんな妙なブログを、どんな方がご覧になっているのでしょうか? 少し興味があります。もし良ければコメントで教えて下さい(笑) さて、これまでを振り返りますと、 よく一年過ごせた、生き延びれた…

東山魁夷という画家の作品に、「道」というものがあります。 描かれた道は、これまで辿ってきた道でもあり、 これからまだ続いていく道でもある。 東山氏はこんなふうに仰っていた。 阿弥陀佛の本願は如何なる衆生であっても、 その存在に対して垂直かつ不断…