むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

十地経

不退転地

親鸞聖人の恩徳を偲び、各地では報恩講のお勤めがなされている。 昨日は正信念佛偈を拝読した。 不退の位に摂取される、このことが人身を受 けた所詮であると、しみじみ思う。 不退転とは、菩薩の階梯で表現されるところの四十一段目、 初歓喜地において、初…

七地八地の水際

大切なことは、煩悩を離れることはできないということ。すなわち決して助からぬこと。 そして、煩悩具足、いしかわらつぶての如くなるわれらであること。 七地ではまだ躊躇がある。 八地にはもはや躊躇はない。ひたすら行ずる。 体当たりである。 七地までは…

信心の純化と柔軟心の成就

藤谷秀道先生のことばです。 十地経が初歓喜地から法雲地まで述べられて いることにも関わってくると思うのですが、 たとえ信心決定しても、煩悩を具足、即ち 身にまとっていることは変わらぬのです。 それどころかいよいよ深く、浅ましいことを 如何に知ら…

名無往生文 八地 不動地

十地経にのたまわく、八地以上の菩薩の行は無功用である、と。 わたくしが考えまするに、七地以前の菩薩の眼目は自利である。 自利には限りがある。広がりと深さがなく、我執の習気を感じる。 聞其名号、大悲が届いたとき、大いなる歓喜が起こる。 それは刹…

無功用

達磨大師の言葉に、無所得があると聞いております。 曽我量深先生の言葉に、回向は表現であるというものがあります。 往生は表現であると僕は思います。そして、それを表現する人を 諸仏に等しい方々だと思います。そして、その方々は今も満ち満ちて おられ…