むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

善知識

無限なる反復

修道とは、修習。 習とは反復すること、連続することです。 中略 見が連続していくから修道です。 中略 見が修になって見を完成していくわけ です。 中略 最後の修を通して完成された見は成仏 になるのです。信心成仏です。 このように聞くというのはただ聞…

わが名を称えよ

阿弥陀佛の本願は、 わが名を称えよという本願である。 われらからすれば、聞名である。 南無阿弥陀佛を 称えさせ、聞かせて、信じさせ、往生 させ、成仏せしめる。これが他力の おはたらきである。そして、 大悲念佛を通して智慧の信心が発起する。 誓願不…

信の純化と柔軟心の成就

他者を批判し、批評するのは簡単だ。 自分が問題にならず、外ばかり見ている。 しゃべらないのではない。 ただ黙っているのだ。 結果を出せば凡夫は黙る。 結果は待っていてはいつまでも来ない。 結果は準備、動きの果てに成就するものだと信じる。 自分が当…

念佛に極まる

念佛は大悲の相。 相に如来の心も行もこもっている。 もはや自分の心や有様に囚われず、 ただ、わが名を称えよの仰せ、助けずば おかないの仰せを聞き念佛を申す。 この選択本願念佛の一行をたもつ。 念佛から一切の行が溢れてくるが、 一切はわが力で行ずる…

念佛を申す

先生はいつも仰る。 今ここで念佛を申し、耳に聞く。 親鸞聖人、法然聖人は専修念佛、常念佛の お方であった。現在の浄土真宗では、 選択本願念佛を専ら行ずる、 無量寿佛の御名をたもつ、念佛行を軽んじて いる。今ここで口に声に出て下さる お念佛を聞く。…

南無阿弥陀佛

お念佛が今ここに至り届き聞こえて下さる。 ただそれだけで満足だ。わが心身の 有り様に微塵の用事なし。 南無阿弥陀佛

唯信仏語決定依行

親鸞聖人、愚禿鈔にいわく (西本願寺真宗聖典p522-523) 第五には、 唯仏語を信じ決定して行による、と。 第五の唯信仏語について、三遣、三随順、 三是名あり。 掘り下げて確かめる。 親鸞聖人は結局何を伝えて下さったのか? 唯仏語を信じ決定して行によ…

生きた佛法

佛法とは生きたおはたらきである。 それは言葉だけで理解するものではなく、 現実を通し、身を通し、体解(たいげ) すべきものである。 お寺、僧侶を経済的価値観で計っては ならない。経済的価値観は、 必ず我が身にふりかかる。必然的に。 因果応報、自業…

聞法のはじめ

今年最初の聞法のご縁だった。 まず誓願ありき、誓いの御名ありき。 専修念佛。まずお念佛を申し、耳に聞く。 聞名をたもつ。 称えやすくたもち易い形にまで仕上げた 念佛を聞く。 形なき大悲が敢えて形をあらわしたのが 一声の念佛なるぞ。 善知識の仰せ、…

信心の純化と柔軟心の成就

藤谷秀道先生のことばです。 十地経が初歓喜地から法雲地まで述べられて いることにも関わってくると思うのですが、 たとえ信心決定しても、煩悩を具足、即ち 身にまとっていることは変わらぬのです。 それどころかいよいよ深く、浅ましいことを 如何に知ら…

求道者

有縁の先生方に言えることは、先生方自身が 未だに求道しておられることである。 自分と倍年が違う先生も、未だに念佛往生の お心をお聖教を通して尋ねておられる。 立ち止まらない。 正しく善知識である。有り難いことである。 南無阿弥陀佛

無功用

達磨大師の言葉に、無所得があると聞いております。 曽我量深先生の言葉に、回向は表現であるというものがあります。 往生は表現であると僕は思います。そして、それを表現する人を 諸仏に等しい方々だと思います。そして、その方々は今も満ち満ちて おられ…

仏恩を思う

南無阿弥陀佛という声にまで、お成り下さり、 常に呼び掛け、抱き続け、照らし続け、言い当て続けてくださる、 無量寿仏に深く帰依致します。 帰依する心さえないので、帰依する心まで回向下さって、 助けるぞと呼んでくださるのが、今口に称え、耳に聞こえ…

仰せが佛法

自分には他力は分からない。不可称不可説不可思議の故に。 ただ、お前を必ず助けるぞ、間違わさぬぞの仰せがただただ嬉しい。 仰せとは、今わが口に称えさせられ、耳に聞こえてくるお念佛。 それ以外にない。故に勅命と親鸞聖人は仰った。 お念佛が聞こえる…

善知識

佛縁を下さった有縁の方を善知識とお呼びする。 自分にとっての善知識を考えてみたい。 善知識 - WikiArc ・祖父。一声も念佛しなかったが、間違いなく地蔵菩薩の化身だと思う。 ・妻。彼女が居なかったら多分死んでいただろう。ただ傍にいてくれることが、 …

わが名を称えよ

わが名を称えるばかりで、必ず汝をわが国に生まれさせる。 どうかわが誓願を信じてくれよ、やるせない大悲が声になり、 念佛往生を告げ知らせるのが、南無阿弥陀佛。 わが名を称えるばかりで助ける。ほかに何もいらない。 わが心、わが身に微塵の用事なし。 …

専修念佛

自分がどう思うとか、どういただけるようになったとか。 そんなものに用事はない。なぜなら、思えるときもあれば、 思えないときもある。そんなふらふらしたものに何の用事があるのだ。 ただ念佛往生の大悲、わが名を称えるばかりで必ずたすける、 ほかに何…

信心を批判するはたらき

落ち着こうとか、安住したいのに、全然そうさせてくれない先生がいる。 厄介だなぁと思いながら、大事にしなければならない、ご縁だと思っている。 本当に安寧に止まりたい。わかった、というところに留まりたい。 でも、それが助かったといえるのか?個人的…

弥陀の直説法

聴聞だけが聞くことではない。 むしろ講師の説法には、その人の思いが混ざることが多々ある。 受け取る方も、そのまま聞くことが難しい。ほぼできない。 念佛は弥陀の直説法である。松並松五郎さんは仰った。 生粋の直説法。なんまんだぶなんまんだぶと称え…

信心のすがた

むなしくない、という題名でブログを初めて、 二年が経ちました。 二年も経ったのか、という思いと、二年しか経ってないのか、という思いが しますが、今自分が頂いている信心の相を記します。 当初、諸佛という言葉がなかなか頂けませんでした。ピンと来な…

無明を破る

無明の闇を破するゆへ 智慧光佛となづけたり 一切諸佛三乗衆 ともに嘆誉したまえり(浄土和讃) 釈迦如来は、一切有情の苦悩の根本原因を「無明」の故にと仰った。 この無明は深淵であり、これによって、無始乃至今日今時に至るまで、 流転し続けるのである…

お同行の言葉

土徳と善知識に育てられたお同行の言葉は、 たとえ理性的ではなくても、しみこむように感じる。 仏法を聞いたら、ちっとはましな人間になれるかと思っているが、 どうでしょうか、と尋ねたら、先生は「あんたは諦めなはれ。 ただ念佛申しなさい」と仰ってく…

念佛往生の誓願

念佛申す者、すなわち、我が名を称えるものを 必ず我が浄土へ生まれさせる、間違わさん、という誓いである。 我が名を称えるばかりで、必ず助ける。 この言葉は我らの世界における、ぎりぎりの如来の表現である。 形から心を頂く。かたちなき法性が、自己を…

佛名をたもて

親鸞聖人の仰せは、ただ佛名をたもて、これだけ。 自分の心に尋ねるのではなくて、親鸞聖人に尋ねればいい。 釈迦如来、七高僧、親鸞聖人、蓮如上人、有縁の先生。 一貫して仰るのは、佛名をたもて。 これ以外に諸佛善智識が仰るべきことはない。 自分も本当…

即横超截五悪趣

即横超截五悪趣と云う言葉が気になります。 何気なく読んでいた正信念佛偈のご文でしたが、このお言葉は ただごとではない。 横超が浄土真宗、他力念佛の本意。 悪趣自然閉、閉塞諸悪道 通達善趣門。 われらが流転するのは、三毒の煩悩が原因ではない。 無明…

師に遇えたよろこび

曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし(高僧和讃) 生きた念佛の行者である先生に出遇わせて頂き、 とても嬉しく有難く思っている。先生は、苦労を重ねられ、沢山の先生に 道を尋ねられ、苦悩し、念佛…

他の方便さらになし

極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとへに弥陀を称じてぞ 浄土にむまるとのべたまふ(高僧和讃 源信和尚) (意訳) 極重の悪人である我々は、他の善行や他の仏菩薩の力で救われる 方法はさらにない。 ただ弥陀の名号を称えて、浄土に生まれることがで…

いのちを愛する

たまたま寄った銭湯のご主人の言葉。 オレは剣道五段やけど、兄ちゃん、剣の道で何がもっとも 強いか分かるか? いいえ、それはなんですかと答えると、 それはな、愛やねん。でも、何の愛かわからんねん。何でかわからんねん。 人を愛するということでしょう…

さよなら、また会う日まで

2年前、あなたはわたしに云いました。 あなたは99%もうだめだ、と。仰るとおりでした。 わたしも思いました。もうだめだと。 道がどこにも見えなかったし、 何をどうすればよいのかもわかりませんでした。 わたしはうぬぼれておりました。井の中の蛙でしか…

聴聞の根本動機

和田先生は仰った。 何のために佛法を聞いているのか?根本動機は何や?何を求めているのか? 本当に生死出づべき道を求めているのか? 僕は本当にただ自分が自分でありたいだけだと思う。そのほかに何もない。 そして、自分は、機能的にしか一切を認識でき…