むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

善知識

無明を破る

無明の闇を破するゆへ 智慧光佛となづけたり 一切諸佛三乗衆 ともに嘆誉したまえり(浄土和讃) 釈迦如来は、一切有情の苦悩の根本原因を「無明」の故にと仰った。 この無明は深淵であり、これによって、無始乃至今日今時に至るまで、 流転し続けるのである…

お同行の言葉

土徳と善知識に育てられたお同行の言葉は、 たとえ理性的ではなくても、しみこむように感じる。 仏法を聞いたら、ちっとはましな人間になれるかと思っているが、 どうでしょうか、と尋ねたら、先生は「あんたは諦めなはれ。 ただ念佛申しなさい」と仰ってく…

念佛往生の誓願

念佛申す者、すなわち、我が名を称えるものを 必ず我が浄土へ生まれさせる、間違わさん、という誓いである。 我が名を称えるばかりで、必ず助ける。 この言葉は我らの世界における、ぎりぎりの如来の表現である。 形から心を頂く。かたちなき法性が、自己を…

佛名をたもて

親鸞聖人の仰せは、ただ佛名をたもて、これだけ。 自分の心に尋ねるのではなくて、親鸞聖人に尋ねればいい。 釈迦如来、七高僧、親鸞聖人、蓮如上人、有縁の先生。 一貫して仰るのは、佛名をたもて。 これ以外に諸佛善智識が仰るべきことはない。 自分も本当…

即横超截五悪趣

即横超截五悪趣と云う言葉が気になります。 何気なく読んでいた正信念佛偈のご文でしたが、このお言葉は ただごとではない。 横超が浄土真宗、他力念佛の本意。 悪趣自然閉、閉塞諸悪道 通達善趣門。 われらが流転するのは、三毒の煩悩が原因ではない。 無明…

師に遇えたよろこび

曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし(高僧和讃) 生きた念佛の行者である先生に出遇わせて頂き、 とても嬉しく有難く思っている。先生は、苦労を重ねられ、沢山の先生に 道を尋ねられ、苦悩し、念佛…

他の方便さらになし

極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとへに弥陀を称じてぞ 浄土にむまるとのべたまふ(高僧和讃 源信和尚) (意訳) 極重の悪人である我々は、他の善行や他の仏菩薩の力で救われる 方法はさらにない。 ただ弥陀の名号を称えて、浄土に生まれることがで…

いのちを愛する

たまたま寄った銭湯のご主人の言葉。 オレは剣道五段やけど、兄ちゃん、剣の道で何がもっとも 強いか分かるか? いいえ、それはなんですかと答えると、 それはな、愛やねん。でも、何の愛かわからんねん。何でかわからんねん。 人を愛するということでしょう…

さよなら、また会う日まで

2年前、あなたはわたしに云いました。 あなたは99%もうだめだ、と。仰るとおりでした。 わたしも思いました。もうだめだと。 道がどこにも見えなかったし、 何をどうすればよいのかもわかりませんでした。 わたしはうぬぼれておりました。井の中の蛙でしか…

聴聞の根本動機

和田先生は仰った。 何のために佛法を聞いているのか?根本動機は何や?何を求めているのか? 本当に生死出づべき道を求めているのか? 僕は本当にただ自分が自分でありたいだけだと思う。そのほかに何もない。 そして、自分は、機能的にしか一切を認識でき…

如来如実の言

五濁悪時の群生海、如来如実の言(みこと)を信ずべし(注釈版真宗聖典p203) 正信偈にて、親鸞聖人が仰る言葉です。 信ずべしとは、聞即信、すなわち聞くしかないということ。 何を、如来選択の念佛のいわれを。 聞こえるまで、たとえ聞こえても、いよいよ…

現実をうばい返す

救いは常に現前でなくてはいかんのです。 救いの予約が救いでない。 救いというのは『今、ここに』という現前の救いでなくてはいけない。 救われようのない現実を、そこに自分の唯一の生きる道があるんだ、と。 言っていうなれば現実をうばい返すんです。 救…

身を粉にしても骨を砕きても

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし 今まで自分が御恩報謝すべきと思っていた。 でも、ふと気づいた。 自分のために無量永劫、既に身を粉にし、 骨を砕いて、どんなに苦しくとも、汝のためならと、 笑顔で命を…

悲心招喚

無視されても。 どんなに苦しく、孤独であっても。 どんなに時間がかかろうと。 喚び続ける。決して諦めない。忍終不悔の心。歩み続ける。 これが如来の大悲。 選択本願の念佛とは、如来の大悲が背景にある。 だから、わたしが分別し、わけのわからないもの…

今回の学び

本当は聴聞する心はないはずなのだが、 不思議と足を運ばせて頂いている。そして、今年もご縁を頂いた。 今回も新しい発見があり、出会いがあり、感動があった。 忘れる前に記そうと思う。 真宗は自己を見るまなこである。 自己を相対化するために、阿弥陀さ…

わが師の恩

自分にとって、真の師と仰ぐ方は二人います。 一人は行の師。鍵山秀三郎先生。この人に遇えなければ、今はない。 行に励んだ、あの日々がなかったら今はない。 心あるところに宝あり。 この言葉の心を、わたしは弥陀のまごころと味わっています。 もう一人は…

清沢満之先生

本日、6月6日は、清沢満之先生のご命日と伺っております。 先生の著書に触れる機会があったため、その中で 印象に残った箇所を、記します(清沢満之語録:岩波現代文庫:今村仁司編訳) 他力門哲学骸骨(試稿) 他力信行(P155) 他力門の信と行はまさに前節…

善知識は一人ではない

まことの仏法を説いてくださる方は、この人だけだ。 だから、自分はこの人から聞くしかないんだ。 こんな事、思いませんか? これは偏りです。 お釈迦様は、阿弥陀経で、東方、 南方、西方、北方、 下方、上方の世界で、自分が、今、阿弥陀仏の不可思議の功…

むなしさとともに②

むなしさとともに、の「ともに」についてです。 「ともに」は、共にであり、友にであり、倶にであります。 本願は、常に十方衆生、具体的には、 わたしいちにんに、いきとしいけるものすべてに、平等に かけられた純粋な願いです。 私は、今、本願と共に在る…

木村無相翁

自分が生まれて間もないころに、ご往生された方なので、 面識はないが、残された詩抄を拝見して、ひっかかったことがある。 そのままで(題名) 信者になったら おしまいだ 信者になれぬ そのままで ナムアミダブツ ナムアミダブツ 仏法を聞かせて頂いても、…

今生の意味

信心とは、仏性であると教わる。 本願の名号の因、光明の縁が和合円熟し、 仏性が備わると味わう。 信後の命がある意味は、すなわち、一人でも多くの人と縁を持つ、 ということなのではないか、と思った。 今生の縁が尽きると、浄土に往生し、仏に成れば、一…

終わりなき歩み

即得往生とは、有余涅槃のことである、と聞かせて頂きました。 余りがある、涅槃。 余りとは、肉体、我が宿業の身、煩悩具足のわが身と味わいます。 そして、この世の縁が尽きるまでは、宿業をひきずりながら生きていく。 でも、宿業に引きずられない。苦し…

南無不可思議光如来

浅ましい、恥ずかしい、それでいながら、 普通の人間のふりをして生活をしなければ、生活が立ち行かない。 悪業を一つも止められない。止める力がない。 善悪も一つもわからない。わけのわからないことをするしか、 生きようがない。 これが、自分の正直な姿…

鈴木大拙先生

禅とは何か。 自分は、全くわかりませんが、ご縁があって、 鈴木大拙先生の「日本的霊性」という本を読ませて頂きました。 禅を通して、先生の到達なされたこと(自分は表現できないので、もしよければ、 読まれてください)と浄土真宗の、弥陀の本願に遇う…

先達を想う

このブログを見て下さっている多くの方は、全休様のブログから 来て下さっています。 リンクの貼り方がわからないので、 こちらでご紹介させて頂きます。 http://ictv.easymyweb.jp/member/zenkyu/default.asp 全休様は、きっと沢山の仏教書をお持ちで、 本…

清沢満之先生

我信念というご著書があります 先生のことは最近存じ上げたのですが、生は長短ではないと 思います。 もしよければ、ご覧になって下さい。 www.aozora.gr.jp/cards/001211/files/45629_23864.html 有難く存じます。 16/02/06追記 本当の満足とは、絶対に私を…