むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

徒然なるままに

正直な気持ち

唯識は難しいと聞いたことがあるが、 実際すごく微細で、言葉も難しい。全然 わかりません。 最近は真宗のお聖教ではなくて、唯識の 本をゆっくり目を通している。 煩悩に対する分類分析も細かいし、 歓喜地、信心決定がどういう意味を 持つかも表されている…

静けさ

静けさを希求している気がする。 物事が終わり、尽き果てる静けさ。 始まる前の静けさ。 静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、 一途に春を待つ桜の木のような。 なんとも言えないが、 やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。 寂静寂滅は逃げることではなく、…

ともに歩む

自分だけ助かって終わるのではなくて、 同じ地平に立ってともに本願念佛を仰ぐ。 ともに尋ねていく。ともに聴聞する。 そこには自分一人では決して辿り着けぬ 何かがある。それを寂静とか涅槃というのだ と思う。すべて終わった世界。また始まる 世界。往生…

ニヒリズムを超える

ニヒリズムを超えることは、 人間の知恵、分別知では難し。 意味を見出し続けることは非常に困難で あり、果てがない。 もしも、超えることがあるとすれば、 自分の感情、感覚をさしおき、相手に しないこと。むなしさはなくならない。 悲しみもなくならない…

変化は面白い

変わることは面白い。 変わることは動くこと、反応したり、 適応すること。 ただし変わらぬ軸を獲た上で、 敢えて変わることを選ぶことと、 流されて変わること、即ち、 変わることを忌避するけど、変わらざるを 得ないのとでは、相が同じでも意味が異なる。…

冷静に淡々と

元号が変わった。 平成最後。新しい時代。 テレビはほとんど見ないので、繰り返し こういう言葉が使われていること、 退位と即位の報道が飛び交っているのは とても違和感がある。何か国民に印象づけ ようという意図があるように思う。 一年に何度元号を思い…

薫習

自然(じねん)とは意識にも上がらず、 考えることもいらないことだと思う。 繰り返し反復する、失敗して、 立ち止まって、また行う。 そのサイクルを繰り返すこと、これが 薫習、自然でありましょう。 身につく。身についたことは忘れない。 こういうことが…

虎視眈々

新しい期が始まりました。 個人的には大晦日より、3月末が 年末のような心持ちです。 虎視眈々。 これがこの一年のスタイルになります。 チャンスが来るまでしっかり牙を研ぐ。 研ぎ続けていく。獲物は逃さない。 必ず仕留める。実生活の方針です。 一方で…

挫折の地をおもう

時々苦い思い出のある地を訪れる。 少し胸がチクっとする。思い出が蘇る。 何もできなかった半年。 今の自分が戻ったとしても、きっと太刀打ち できないだろう。でも、そういうだめな 自分でよいのだ。自分は自分を一歩一歩 進むしかない。ともに歩み、みそ…

沈静

ブログの更新頻度は落ちそうです。 具体的現実に対して、どうするのか、 これが直面する課題だからです。 実際に落とし込む、これはどういう意味が あるのだろう。なるほど、そういうことか。 こういう一人の問答を繰り返しています。 往生とは生活である。…

暗がりに差す人すじの光。 進むべき方向がわかる。 光のはたらき、方向がわかれば、 安心してそちらへ進めばいい。 必ず出られる。 南無阿弥陀佛

主体性の回復

主体性は純粋な願望から生まれる。 本願は純粋、即ち一心である。 信心決定とは、存在の回復、 捨てたくなるような人生を奪い返すと、 和田先生は仰った。曽我量深先生は、 物質に精神が支配されているのが、 我々の通常の有様だと仰っている。 如来の本願を…

佛語を頂く

平素のやりとりの中で、佛語を聞く場面が ある。あぁ有り難いことやと思う。 懸命、ひたむきな姿に如来が宿る。 真実に至るという意味の曹洞宗のお言葉。 佛縁のない方から聞くと特に有り難い。 ちゃんと如来がはたらいておられると 安心するのであります。 …

課題と並行して進めていきます

課題は課題として、しっかり考えますが、 僕自身は何者にも縛られずに、 自由に念佛の信心を確かめていきたいのであります。 流れるままに、徒然なるままに。 本当に求めていたこと、今も求めていることは、 まことの自由・まことの平等・まことの連帯。 こ…

声のほとけさま

11月1日、ブログを始めてから丸三年の月日が経ちました。 こんな妙なブログを、どんな方がご覧になっているのでしょうか? 少し興味があります。もし良ければコメントで教えて下さい(笑) さて、これまでを振り返りますと、 よく一年過ごせた、生き延びれた…

諸々の衆生とともに

メダカを飼っています。 彼らは泳いでいるだけで、生産的だと言えないものでしょう。 しかし生産的とはなんだろうか? 僕は知らない。わからない。知りたくもない。 彼らが死んでしまうとただ寂しいし、ただ悲しい。 ただ共にいれたらそれでよい。何人も僕と…

澄んだ瞳

夕暮れ時にすれ違った黒い盲導犬の瞳を見る。 彼は全く主人の目となっている。 横に寄り添い、黙っている。 彼は主人と一つになり、彼の眼は赤い夕日に照らされ、 透き通り、尊く澄んだ輝きを放っていた。 思いがけず、念佛を申さざるを得なくなった。 自分…

信心のおはたらき

信心は分別に染まらない。 信心は如来より発起せしめられる。 信心は信知、知らしめて下さる。 それは何か。決して助からぬこと、 だからこそ本願によって念佛往生せしめられること。 信心は一心であり、開けば三心と言われる。 深心決定心相続心。 一心は如…

如来の仰せ

助けるでたのめ。 任せよと仰せ下さる如来を南無阿弥陀佛という。 仰せに帰順する、従う、託す。これが帰命の相。 念佛の行者は無相。無相故に印がない。わからない。 社会に溶け込んでいる。 違いがただ一つあるとすれば、その人は如来の仰せにしたがって、…

帰る

元の木阿弥に帰る。 それが無上であろう。 相は同じでも全く別の世界を取り戻して帰ってくる。 別の世界でもなくて、ただ忘れ果てていたものなのだろう。 ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし。 この言葉は想起させてくれた。 親鸞聖人のご苦労、如来…

自分は何者であり、ここはどこか、が破られる

浄土真宗の救いとは、二種深信であるといわれる。 智慧による深信である。深信とは決定、確定である。 そこに何かが介在する余地は微塵もない。故に決定であり、 確定である。 自分は間違いなく如来の仰る凡夫であるということ。 つまり、決してタスカラヌ身…

雨もやがて上がる

雨が降っている。 雨はただ降っている。そして、雨が止む。 日が昇り、風が吹き、また雨が降り、草花が茂る。 止まない雨はない。毎日晴天でもない。 悲喜こもごも。光明と闇があるからこそ調和がとれる。 止まない雨はない。雨はやがて上がるだろう。 いっ…

弥陀に帰命せよ

一心一向に弥陀に帰命せよ。 善知識の仰せはそれだけである。 ほかに善知識の仰せはない。 この仰せに従う。 しかし自分には従う力もない。即ち助からない。 だから南無のお心までご成就くださるのである。 漏れようがないまことの大悲を有難く思う。 南無阿…

仏恩を思う

南無阿弥陀佛という声にまで、お成り下さり、 常に呼び掛け、抱き続け、照らし続け、言い当て続けてくださる、 無量寿仏に深く帰依致します。 帰依する心さえないので、帰依する心まで回向下さって、 助けるぞと呼んでくださるのが、今口に称え、耳に聞こえ…

ナントモナイ

心境に変化が起こるのか? ナントモナイ 日常が有難くなるのか? ナントモナイ 一体何が助かるのか? ナントモナイ 念佛して何になるのか? ナントモナイ 一体何がどうなるのか? ただ念佛を称え、称えれば耳に聞こえる。 耳に聞こえる念佛は、タスケルの仰…

雇用

人間が憑みにしているものに、会社(組織)がある。 会社の役職、役割、仕事によって、生活が支えられている。 大企業、中小企業さまざまであるが、やはりその場によって、 支えられているといえる。 佛教とは如実知見、ありのままを観察する、智慧の教えで…

本願海

海には波がある。 海はとどまらない。流れ続ける。 苦しみは絶えない。自分の浅ましさも止まない。 しかし、本願は大悲の海であり、智慧が満ちている。 智慧の波によって、わが身と煩悩を遠くにさらっていく。 みえなくなる。すぐに忘れる。執着しない。どう…

キェルケゴールの日記

根本的なことは、私にとって真理であるような真理を発見し、 私がそれのために生き、 かつ死ぬことができるような理念を発見することである。 いわゆる客観的な真理などを発見したところで、 それが私にとって何の役に立つというのだろうか。 (哲学の歩き方…

往生礼讚

もし衆生ありて阿弥陀仏を称念すること、 もしは七日および一日、下十声乃至一声、一念等に至るまで、 かならず往生を得。この事を証誠したまふが故に護念経と名づく。 (真宗聖典 七祖編p712 往生礼讚 後述) わが名を称える者よ、汝よ、流転したくても流…

信心のすがた

むなしくない、という題名でブログを初めて、 二年が経ちました。 二年も経ったのか、という思いと、二年しか経ってないのか、という思いが しますが、今自分が頂いている信心の相を記します。 当初、諸佛という言葉がなかなか頂けませんでした。ピンと来な…