むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

徒然なるままに

キェルケゴールの日記

根本的なことは、私にとって真理であるような真理を発見し、 私がそれのために生き、 かつ死ぬことができるような理念を発見することである。 いわゆる客観的な真理などを発見したところで、 それが私にとって何の役に立つというのだろうか。 (哲学の歩き方…

往生礼讚

もし衆生ありて阿弥陀仏を称念すること、 もしは七日および一日、下十声乃至一声、一念等に至るまで、 かならず往生を得。この事を証誠したまふが故に護念経と名づく。 (真宗聖典 七祖編p712 往生礼讚 後述) わが名を称える者よ、汝よ、流転したくても流…

信心のすがた

むなしくない、という題名でブログを初めて、 二年が経ちました。 二年も経ったのか、という思いと、二年しか経ってないのか、という思いが しますが、今自分が頂いている信心の相を記します。 当初、諸佛という言葉がなかなか頂けませんでした。ピンと来な…

追悼の意を込めて

ご縁のある方がお亡くなりになった。 それをご縁に思い浮かぶことを残しておきたい。 弔事に際して、ことばを捜したが、最中も、そして今も、結局ことばが 見つからなくて、ただ、ありがとうございました、と、それだけしか浮かばない。 そして、不思議と、…

かけがえのない存在

人が死ぬ、ということはどういうことだろうと考えた。 存在が空白になってしまう。 その空白は、決して他の誰かや何かでは埋まらない。 その存在しか埋められない。 しかし、その存在がいなくなってしまう。 そして、それは逃れ難い。悲しみ、苦しむ。 そう…

一寸お休みします

別に書くこともないのですが、ちょっと休みたいと思います。 何となく、ちょっと疲れたのです。だから立ち止まります。 でも、一週間も経たないうちに、また書いているかもしれませんし、 書かないかもしれませんし、それはよく分かりません。 僕は適当です…

大乗の魂

安田理深先生のお話(浄土の教学:東本願寺出版のCD)の中に 「大乗の魂」と云う言葉があった。 この言葉を自分なりに味わうことは、 あなたが助からなければ、私も助かりません、ということ。 十方衆生とは、あまたの衆生ではなくて、そのいちいちの衆生、 …

力が入っていたなぁ

3月ごろある座談会にて、何とか伝えられないか、自分が頂いているところは 伝えなければ、と思い、ずいぶん力が入ってしまっていた。 結局は、自分が分かっているつもりになってしまうのだと思う。 今はどうやと言われれば、今もそうなのかもしれない。 た…

金剛心は如来の心

逆らわずに、素直に任せるは、随順の心。 過ちを認め、恥じるは、慙愧の心。 この心、わが心にあらず。これ如来がわれらがために成就し、 回向してくださる、如来の心。 この心、不壊不滅常住につき、金剛心と申す。 念佛の声を通して、如来の無限大悲が、わ…

ひたすら聞く、教えを請う

お念佛は聞きものです。称えるということは、そのまま聞くこと。 尊敬する先生がよく仰ることであります。 ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとの 仰せをかぶりて信ずるほかに別の仔細なきなり(歎異抄第二章) この言葉が真実であることを…

即とはそのまま、ということだと思う。 八地以上の菩薩はこの境地を実現するという。 聖徳太子、あるいは華厳経、十地経の教えから伺うに、 七地と八地の間にも断絶があるらしい。 藤谷先生はよくお話や書物の中で、七地沈空の難ということを 仰っている。 …

佛名をたもて

親鸞聖人の仰せは、ただ佛名をたもて、これだけ。 自分の心に尋ねるのではなくて、親鸞聖人に尋ねればいい。 釈迦如来、七高僧、親鸞聖人、蓮如上人、有縁の先生。 一貫して仰るのは、佛名をたもて。 これ以外に諸佛善智識が仰るべきことはない。 自分も本当…

最初から憑みにしない

ひとは、業縁存在である。 どんなに素晴らしいひとであっても、 どんなに仕方のないひとであっても、固定的な存在ではない。 因は無量永劫の生をもって、具足している。 縁は選ぶことはできない。このことを煩悩成就、緊縛と仰られるのではと思う。 思い通り…

迷いに埋もれるままに如来の大地におった

毎日のひぐらしは因を作っているような気がしていたが、 実際は果である。 迷ってきた証は、この身である。人間として生まれてしまったことが 迷ってきた結果である。 一切が無明住地の因縁に依って起こり、それによって考え、 それによって、生きてきた、生…

夜道のセミ

夜道を歩く。 影が動く。あっ、セミだ。 土から出てきて、もぞもぞしている。そこは歩行路。 踏み潰されてるのを見るのがいやだ、手を伸ばすともぞもぞ上ってくる。 少し腕をよじ上る。殻に成虫の兆しが透けている。 このセミは何歳だろうか? 木に置くと、…

ねんぶつのうた

最近は、法話の場に行っても、話の内容や言葉を覚えようという気持ちが なくなってしまい、ただ有縁の先生のお顔を見に行っているような、 そんな感覚でおります。 お念佛もおろそかで、日常はあれやこれやで毎日が過ぎております。 いくら自分が忘れても、…

無蓋の大悲

大悲を思う。 よくぞこのような世界に如来が人の姿をとって現れて下さったものだ。 本当にご苦労下さったと思う。 そしてその説いて下さったお言葉が、今日、仏縁のない自分にまで ついに至り届いて、お念佛を申す身にまで仕上げて下さったことに 深く深く感…

諦かに見る(現実を凝視する)

他の方はともかく、自分については、救いとは無縁である。 どうしても自己中心性を離れることができない。傷つけ、裏切ることしか できない。嘘と偽りだらけである。 わが身わが心を諦かに見る。救いはどこにもない。どうにもならない。 そこに、一つのよび…

聞思

しばらく疑問を至してついに明証を出だす(顕浄土真実教行証文類 信巻) 親鸞聖人の聞思の姿勢を感じる。 言葉を掘り下げる、文章は行間を読む、仏法に体当たりをする。 専ら念佛を聞く。 僕には、時々このようなことに浸る時節があるようです。 止観、観察…

一匹の虫

たまたま手に虫が止まった。 たまたまである。 なぜ自分と彼は出会っただろう? なぜだろう?不思議の因縁を思う。 手に触れて、彼は飛び立っていった。 彼と自分には、ともにひとつの命がながれている。 不思議な因縁を感じる。彼に仏縁あれかし。 南無阿弥…

念佛は無碍なり

念佛は無碍なり。 無碍とは我が身我が煩悩を貫くなり。 貫くとは障りなく、届くなり。 届くとは聞こえるなり。 聞こえるとは称えるなり。 称えるままが聞くことなり。 念佛は貫くなり。専ら弥陀の名号を聞く。 我が身我が心のありように囚われず、専ら念佛を…

いのちのともがら

十方衆生とは、みなご縁のある者ということだと思う。 われらは、弥陀に助けられるべき存在であり、業が違うので、 姿形性格、性別さまざまな違いはあるけれども、 生まれてしまった者、必ず死に帰さねばならない者という点において、 全く同質のともがらで…

念佛とともに

死にたくはないが、どうしても生きねばならない理由はない。 難儀は嫌だが、それは避けられない。自分のこれまでがもたらしたものだから。 宿業や一生造悪、極重悪人という言葉は、誰かに用いてよい言葉ではない。 自分が『自分自身』にしか、用いることを許…

人間

人間とは、久遠の歴史を背負って生まれてきた者である。 損や得や善悪、そんなもので計れるほど、軽い者ではない。 甚だ重い久遠の過去、そして、光明と共に歩む可能性を孕んだ者の ことを云うのだと思う。 あなたは一体何だ?僕は人間でありたい、と思う。 …

メリトクラシーに抗う

一切を貨幣的、機能的にしか認識、観察できない。 『それ』としか見ることができない。 これをメリトクラシーと聞かせて頂く。 これに染まってしまった自分が どれだけ他人を傷つけ、生き物を傷つけ、弄んできたか。 そして、今も止むことがない。それが自分…

限界状況(越えられない一線)

因縁和合。つくべき縁、離れる縁。 出会いがあり、別れがある。どんなに努力をしても越えられない 一線がある。それは、そういう状況に陥るのではなくて、 元々そういう状況に在る、状況を具足していることを逃避し、 あるいは遠ざけることで自分を保ってき…

いのちを愛する

たまたま寄った銭湯のご主人の言葉。 オレは剣道五段やけど、兄ちゃん、剣の道で何がもっとも 強いか分かるか? いいえ、それはなんですかと答えると、 それはな、愛やねん。でも、何の愛かわからんねん。何でかわからんねん。 人を愛するということでしょう…

本願に信頼されている

信心で助かるのでもない。 念佛で助かるのでもない。 乗彼願力。お前を助けずばおかん。必ず助ける、という 如来の本願力、法蔵比丘の誓願で往生を遂げさせて頂くばかり。 わが身わが心、この相対有限の世界に自分をまかさない。さしおく。 助けずばおかん、…

事実と真実は違う

最近感じることがある。 それは、人は事実に支えられているということである。 事実とは、物質・精神両面において、様々な形をとって関わっている。 例えば、富、地位、家族、友、健康。 確かに今現在感じうる事実だといえる。 しかし、親鸞聖人は真・仮・偽…

度衆生心(仲良くしたいと思う心)

お経を読んでいます。 浄土三部経ではありません。雑行だと言われるかもしれませんが、 別に構いません。そういうことを気にする必要はもうありません。そのままです。 そのお経に嫌と云うほど出てくるのが『衆生のために』という言葉。 三帰依文でも出てく…