むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

徒然なるままに

夜道のセミ

夜道を歩く。 影が動く。あっ、セミだ。 土から出てきて、もぞもぞしている。そこは歩行路。 踏み潰されてるのを見るのがいやだ、手を伸ばすともぞもぞ上ってくる。 少し腕をよじ上る。殻に成虫の兆しが透けている。 このセミは何歳だろうか? 木に置くと、…

ねんぶつのうた

最近は、法話の場に行っても、話の内容や言葉を覚えようという気持ちが なくなってしまい、ただ有縁の先生のお顔を見に行っているような、 そんな感覚でおります。 お念佛もおろそかで、日常はあれやこれやで毎日が過ぎております。 いくら自分が忘れても、…

無蓋の大悲

大悲を思う。 よくぞこのような世界に如来が人の姿をとって現れて下さったものだ。 本当にご苦労下さったと思う。 そしてその説いて下さったお言葉が、今日、仏縁のない自分にまで ついに至り届いて、お念佛を申す身にまで仕上げて下さったことに 深く深く感…

諦かに見る(現実を凝視する)

他の方はともかく、自分については、救いとは無縁である。 どうしても自己中心性を離れることができない。傷つけ、裏切ることしか できない。嘘と偽りだらけである。 わが身わが心を諦かに見る。救いはどこにもない。どうにもならない。 そこに、一つのよび…

聞思

しばらく疑問を至してついに明証を出だす(顕浄土真実教行証文類 信巻) 親鸞聖人の聞思の姿勢を感じる。 言葉を掘り下げる、文章は行間を読む、仏法に体当たりをする。 専ら念佛を聞く。 僕には、時々このようなことに浸る時節があるようです。 止観、観察…

一匹の虫

たまたま手に虫が止まった。 たまたまである。 なぜ自分と彼は出会っただろう? なぜだろう?不思議の因縁を思う。 手に触れて、彼は飛び立っていった。 彼と自分には、ともにひとつの命がながれている。 不思議な因縁を感じる。彼に仏縁あれかし。 南無阿弥…

念佛は無碍なり

念佛は無碍なり。 無碍とは我が身我が煩悩を貫くなり。 貫くとは障りなく、届くなり。 届くとは聞こえるなり。 聞こえるとは称えるなり。 称えるままが聞くことなり。 念佛は貫くなり。専ら弥陀の名号を聞く。 我が身我が心のありように囚われず、専ら念佛を…

いのちのともがら

十方衆生とは、みなご縁のある者ということだと思う。 われらは、弥陀に助けられるべき存在であり、業が違うので、 姿形性格、性別さまざまな違いはあるけれども、 生まれてしまった者、必ず死に帰さねばならない者という点において、 全く同質のともがらで…

念佛とともに

死にたくはないが、どうしても生きねばならない理由はない。 難儀は嫌だが、それは避けられない。自分のこれまでがもたらしたものだから。 宿業や一生造悪、極重悪人という言葉は、誰かに用いてよい言葉ではない。 自分が『自分自身』にしか、用いることを許…

人間

人間とは、久遠の歴史を背負って生まれてきた者である。 損や得や善悪、そんなもので計れるほど、軽い者ではない。 甚だ重い久遠の過去、そして、光明と共に歩む可能性を孕んだ者の ことを云うのだと思う。 あなたは一体何だ?僕は人間でありたい、と思う。 …

メリトクラシーに抗う

一切を貨幣的、機能的にしか認識、観察できない。 『それ』としか見ることができない。 これをメリトクラシーと聞かせて頂く。 これに染まってしまった自分が どれだけ他人を傷つけ、生き物を傷つけ、弄んできたか。 そして、今も止むことがない。それが自分…

限界状況(越えられない一線)

因縁和合。つくべき縁、離れる縁。 出会いがあり、別れがある。どんなに努力をしても越えられない 一線がある。それは、そういう状況に陥るのではなくて、 元々そういう状況に在る、状況を具足していることを逃避し、 あるいは遠ざけることで自分を保ってき…

いのちを愛する

たまたま寄った銭湯のご主人の言葉。 オレは剣道五段やけど、兄ちゃん、剣の道で何がもっとも 強いか分かるか? いいえ、それはなんですかと答えると、 それはな、愛やねん。でも、何の愛かわからんねん。何でかわからんねん。 人を愛するということでしょう…

本願に信頼されている

信心で助かるのでもない。 念佛で助かるのでもない。 乗彼願力。お前を助けずばおかん。必ず助ける、という 如来の本願力、法蔵比丘の誓願で往生を遂げさせて頂くばかり。 わが身わが心、この相対有限の世界に自分をまかさない。さしおく。 助けずばおかん、…

事実と真実は違う

最近感じることがある。 それは、人は事実に支えられているということである。 事実とは、物質・精神両面において、様々な形をとって関わっている。 例えば、富、地位、家族、友、健康。 確かに今現在感じうる事実だといえる。 しかし、親鸞聖人は真・仮・偽…

度衆生心(仲良くしたいと思う心)

お経を読んでいます。 浄土三部経ではありません。雑行だと言われるかもしれませんが、 別に構いません。そういうことを気にする必要はもうありません。そのままです。 そのお経に嫌と云うほど出てくるのが『衆生のために』という言葉。 三帰依文でも出てく…

むなしさを信頼する

無縁の大悲。摂取不捨。 この言葉の出所を聞く。この出所を本願といい、南無阿弥陀佛という。 表面ではなく、言葉の本質、言葉の響き、いのちが形をとった言葉、 言葉となってまではたらくいのち。 それを聞くのだ、と。和田先生の『常没の凡愚』を聞かせて …

本願に出遇うまで⑥

6.現在 念佛を申し、生活をする。必ず隣にひとがおられる。 そのひとが自分の自性を教えてくれる。 今の自分にとって、重要なことは、今ここでお念佛を聞かせて頂く、 ということに尽きる。 色々なことを思い違いしていたが、どんなに心をさしおいても、 現…

本願に出遇うまで④

4.失敗 自分は主体的活発的なものではないため、 こうなりたい、という意欲や夢が一つもなかった。 流されて、あるいは火がついてからでないと腰を上げない、そういう子どもだった。 そういうことで、受験に関しても、 具体的に志をもって取り組むということ…

本願に出遇うまで③

今に至るまでを思い起こす。思えば、色々あったのかなと思う。 3.決定的な欠落(存在の意味が分からないということ) 他人の気持ち、立場になって考えることが今以上にできなかった。 想像力がない、否、他人に関心がなかったのだと思う。 同時に自分が何を…

道が始まった

今までこちらへ行き、あちらへ傾き、左に行き右に行き 模索しておったのが、『私の行く道はこれだ』と、 その道が決定した。それを「往生一定」といいます。 私の人生の生き方が根元から定まった、これに増したことはない。 そのことを「御恩」と申します。…

法の真実を説け

和田先生は仰った。 個人の心境を述べるに留まってはいけない。 一人ひとりの心境は異なるのだから。 だから先達は云った。法の真実を説け、と。 それは法に出遇った人の言葉である、と。具体的には経論である、と。 自分に教学がないため、心境を述べるに留…

煩悩は煩悩のままでよい

出よう、出よう、やめよう、やめようとしていたが、 どうやらそうではないらしい。 煩悩は煩悩のままでよい。断ぜずともよい。 要は執着しなければ、相手にしなければ問題ない。 湧くなら湧けばいい。思うなら思えばいい。 あぁ、また思っているな。なんまん…

ありのまま

真如法性とは、決して曇りなき青天のことをいうのではないと思う。 雲があっても、雨が降っても、嵐の日でも。 青天の日も、雪の日も、春のうららかな日も。 夏の照りつける日差しも。秋の夕暮れも。 そのありのままの姿が真如法性。足すことも減らすことも…

三帰依文を確かめていく②

この身、今生において度せずんばさらにいずれの生においてか、 この身を度せん。 度す、と云う言葉の意味には、此岸から彼岸に至る、という意味があると 聞いております。 このことの意味を、生死出づべき道と頂きます。 そして、生死出づべき道とは、今、わ…

どこまでも深く、どこまでも高く

如来わが往生を定めしご恩。 これが真宗のご恩だと和田先生から聞かせて頂く。 どこまでも深く、どこまでも高く、本当に仰ぐべきものに 遇い難くして今遇うことを得た。聞き難くして、既に聞くことを得た。 どこまでも聞いていく。どこまでも確かめていく。 …

真宗とはわたしという存在を支えるものである

このブログを始めてからちょうど一年が経ちました。 また、自分を取り戻してからは一年半が経ちました。 この間、沢山の人に出会い、沢山のことを教わってきました。 それが世間で生きることにおいて、役に立つかどうかは、わかりません。 ただ、本当に自分…

存在の歴史

確かに今、人として生まれた自分は、本当に頼りなく、 力のなく、慈悲のない者である。それは事実である。 変えようがない。 しかし、今人として生まれたということは、 数え切れないにんげんの歴史の上で、たまたま起こったことと いえる。 生まれてすぐ無…

極重悪人とは誰か

なぜ苦しいのか。なぜ孤独なのか。 その答えを外にばかり求めてきた。しかし、答えは外ではなく内にある。 我が身さえよければいい。他はどうなってもかまわない。 そもそも関心がない。わが身の安穏さえ保てればそれでいい。 他を責める心が止まない。一切…

聞かせて頂いたこと、そして思うこと

人はよいと思うことしかしない。 地獄とは、堕ちるものではなくて、人間ははじめから既に地獄に堕ちている。 地獄に堕ちているとは、地獄をはらんでいるというか、具足というか、 それから逃れられないということ。 それが各々の縁にもよおされて露わになる…