むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

歎異抄のお言葉

お同行の言葉

土徳と善知識に育てられたお同行の言葉は、 たとえ理性的ではなくても、しみこむように感じる。 仏法を聞いたら、ちっとはましな人間になれるかと思っているが、 どうでしょうか、と尋ねたら、先生は「あんたは諦めなはれ。 ただ念佛申しなさい」と仰ってく…

ただ称えよの仰せ

依るべきものがなく、できることもなく、わかることがひとつもない。 とても悲しいことだと思うが、これが自分の実相。 何か分かるとかではなくて、本当に一切何も分からない。どうすればいいのか わからない。何をすべきかも、何を望んでいるのかもわからな…

讃嘆と悲歎

親鸞聖人の教行信証のうち、御自釈は結論ではなく、 自分自身の感動を表白したものである、と聞く。 結論のようにずっと聞いていたなぁと思う。 よき人法然上人に出遇った歓び、本願念佛にたすけられた感動。 たすけられながらも、まったく変わることがない…

本当に何もわからない

どうすればいいのか、とか、 あの時、ああすればよかったのかとか、 そういう思いがわいてくる。 日常の中でも、どちらがよいのだろうか、 この言葉を使ったほうがよいだろうか、色々と慮る。 定善を息慮凝心といい、慮りを止め、心を集中すると伺う。 散善…

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり

仏法を聞く、聴聞することを「善いことだ」と思っていないか? 「善い」から聞くのではない。 「聞かねばならない問題」を抱えているから、聞かせて頂くのであって、 「善悪」の区別のうえに、「善」を選んでいるから聞くのではない。 「善悪」に立って、仏…

この身を生きる

今こうして人の身を頂いているということの意味を問う。 自分が人として生まれざるを得ない理由があったのだ思う。 この世をお釈迦様は、娑婆世界と仰った。 娑婆世界では一切が無常である。 そして、そこに住むものは、煩悩具足の凡夫。 歎異抄にはこうある…

さるべき業縁

たくさんの方がお亡くなりになった事件が起こってしまった。 詳細はまだ見ていないから分からないけれども、 とても他人事とは思えない。 世の中には、信じられないような出来事が次々と起こっており、 実際に世にあらわになることは、氷山の一角に過ぎず、 …

仰せのままに、そのままに

www.weblio.jp そのままとは、今までの状態のとおり。あるがまま。と出ています。 そして、今までの状態のとおりとは、今現在の状態と頂きます。 乱れ心のまんま。 わけのわからない心のまんま。 浅ましい心のまんま。 疑いをもったまんま。 悲しいなら悲し…

今回の学び

本当は聴聞する心はないはずなのだが、 不思議と足を運ばせて頂いている。そして、今年もご縁を頂いた。 今回も新しい発見があり、出会いがあり、感動があった。 忘れる前に記そうと思う。 真宗は自己を見るまなこである。 自己を相対化するために、阿弥陀さ…

如来の棄てられたものを棄てる

選択本願の念佛。 浄土真宗の行は、称名念佛の唯一行。 助行を除く、他の一切を雑行とよび、棄てている。 棄てるとは、憑りにしないこと。拠り所にしないこと。 称名念佛は、如来の選びとられた行である。真実の方便である。 五濁悪時群生海 応信如来如実言…

本願にすべてを託す

先達にお伺いしました。 『衆生のことは仏の仕事であり、自分たちはただただ、 法を聞くよろこびを伝えるだけでいいんだよ』と。 『どうにか伝えたい、出遇ってほしい。ひとりでも、 自分は自分でよかったんやと腑に落ちてほしい』 そう思ってブログを書いた…

一生造悪

一生造悪値弘誓 至安養界証妙果 一生悪を造れども、弘誓に値ひぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむいえり。 (教行信証 行文類 正信念佛偈)(浄土真宗聖典第二版p206) 一生造悪とは、悪を造り続ければ、存在する事ができない、自分のこと。 既に因は内…

ただ念佛して

自分は決して仏弟子にはなれない。 自分の心の中には、いつまでも眠りたい、夢を見続けたい、 フトンから出たくない、おいしいものが食べたい、 貧しい暮らしをおくりたくない、健康でありたい、 こういう心しか湧いてこない。 何が悪いの?と思うかもしれな…

聖道の慈悲と浄土の慈悲

詳しくは、歎異抄にてご覧下さい。ここでは省きます。 自分がこれらの言葉をどう感じているか、文章を通して、 確かめたく存じます。 聖道の慈悲とは、人間の思いやりのことだと思う。 小さき命をいつくしみ、育てたり、ボランティアや寄付に限らず、 肉体・…

自分が問われている

慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。 無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。 (真宗聖典p275 教行信証 信文類) 今日のお話の中で、自分は、果たして、ひと、なのか、 畜生なのか、を問われた気がした。 正直、自分は無自覚で、うま…

いかなるふるまいもすべし

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし(歎異抄 第13章) 国民的アイドルのことや、タレントの問題で、 あれはダメや、とか、いろいろ批判とか、批評するのは簡単だ。 そして、それで自己満足していればいい。 自分には、彼ら、彼女の問題、あ…

ひかりと闇を想う

僕は、本当に死に掛けたことがあります。 これは、身体の不調というか、心の不調、 つまり、心が死に掛けたと思っています。 厳密にいうと、自我がわたしを襲ってきた、といえるかもしれません。 自分が自分を否定する。それが繰り返され続ける。 延々と。 …

16.5.10追記)聴聞

結局、自分自身の生きている意味を見つけるためには、 末とおりたる慈悲に、全託する以外に術がないように思います。 まかせる、ということは、託すことだと思います。 では全託するには、どうすればよいか。 ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし、の…

お念仏を味わう

南無阿弥陀仏は、畢竟、最後の言葉だと思う。 なぜなら、ただ念仏申すことが、そのまま自分の一切を弥陀に託すことに なるからだ。 最後の言葉。 これは、通常、私たちが日常生活を送る中で、ただ念仏申すと思う心は 発起しない。 そこにやはり、念仏を自分…

無碍の一道

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、 信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。 罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、 無碍の一道なりと云々(歎異抄 第七章) 仏法は、障り(苦ー思い通りに…

わたしの歩み、これからの歩み

自分は、なぜこのブログを始めたか、というのは、過去の分に 書いたのですが、結局のところの、結論は、 本当に満足のいくものは、真宗の教えに実在しており、自分は、 それに遇うことができた。不思議なご縁を賜りました。 なので、このブログを通して、少…

苦の意味

苦しいというと、自分が思い煩う、ことのような気がするが、 仏教での意味は、「思い通りにいかない」、ということだそうだ。 では、自分の望みが思い通りにいけば、それで満足するのだろうか? たぶん、それらがかなっても本当に満たしてくれるものは、ない…

他人事ではない

犯罪。悲惨な事件。 それらは、他人事だと思っていた。それは、被害を受ける側に留まらず、 さすがに、自分もそんな馬鹿なことはしない、と。 でも、今は、身に染みて思う。 やりかねない。その因子が自分にはある、と。 『さるべき業縁のをもよおさば、いか…

悪の天才

食べること一つとっても、どれだけの悪を作り続けるのか。 他のいのちを奪わなければ我が身を保つことができない。 悪事をやめよと教えられても、止める力がない。 少しはあるとかではなく、皆無である。 こういう業を抱えたものを目当てにされている方がま…