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むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

受容

浄土真宗、本願念佛の教えとは、どういうことだろう、と 考えています。 私は、本願とは受容であると思います。 受容とは、じゅゆうと仏教では読むと聞かせて頂きます。 受容とは、受け止めることだと思います。 受け止めるとは、他者を、世界を、そして自分…

さよなら、また会う日まで

2年前、あなたはわたしに云いました。 あなたは99%もうだめだ、と。仰るとおりでした。 わたしも思いました。もうだめだと。 道がどこにも見えなかったし、 何をどうすればよいのかもわかりませんでした。 わたしはうぬぼれておりました。井の中の蛙でしか…

今遇えた慶び

人身受け難し、今すでに受く。 佛法聞き難し、今すでに聞く。(三帰依文) ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな。西蕃・月支の聖典、 東夏・日域の師釈に、遇いがたくしていま遇ふことを得たり、 聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。 真宗の教行証を敬信し…

ありのまま

真如法性とは、決して曇りなき青天のことをいうのではないと思う。 雲があっても、雨が降っても、嵐の日でも。 青天の日も、雪の日も、春のうららかな日も。 夏の照りつける日差しも。秋の夕暮れも。 そのありのままの姿が真如法性。足すことも減らすことも…

もったいない

如来の教えが残る今、いのちを頂きもったいない。 念佛を聞かせて頂きもったいない。 食事を頂いてもったいない。歩かせて頂いてもったいない。 手を合わせしめられてもったいない。 如来の見られた太陽、親鸞聖人が見られた月を見せて頂きもったいない。 念…

我が名を称えよ

我が名を称えよと、 称えてくれよの違いはなにかわかりますか?とたずねられて、 わかりませんと言いました。 昨日、報恩講に寄せて頂き、思いました。 あぁ、我が名を称えよというのは、汝を必ず我が浄土に生まれさせると いう決定のお言葉なのだなと。 そ…

仰せに随順する

常に仰せが先行している。 ただそれに応える。そこに意味をつける必要がない。 自分が何かを思う必要もない。 事実は常に自分の思いを超えて先行している。 それに色んな思いや意味をなでつけて、こねくり回す。 事実事象に対して、自分が思いを起こす。 思…

三帰依文を確かめていく②

この身、今生において度せずんばさらにいずれの生においてか、 この身を度せん。 度す、と云う言葉の意味には、此岸から彼岸に至る、という意味があると 聞いております。 このことの意味を、生死出づべき道と頂きます。 そして、生死出づべき道とは、今、わ…

三帰依文を確かめていく①

人身受け難し、いますでに受く。 仏法聞き難し、いますでに聞く。 この身今生において度せずんば、 さらにいずれの生においてかこの身を度せん。 大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道…

どこまでも深く、どこまでも高く

如来わが往生を定めしご恩。 これが真宗のご恩だと和田先生から聞かせて頂く。 どこまでも深く、どこまでも高く、本当に仰ぐべきものに 遇い難くして今遇うことを得た。聞き難くして、既に聞くことを得た。 どこまでも聞いていく。どこまでも確かめていく。 …

聴聞の根本動機

和田先生は仰った。 何のために佛法を聞いているのか?根本動機は何や?何を求めているのか? 本当に生死出づべき道を求めているのか? 僕は本当にただ自分が自分でありたいだけだと思う。そのほかに何もない。 そして、自分は、機能的にしか一切を認識でき…

諸佛証誠

どうか、選択本願念佛を信じてほしい。 どうか、阿弥陀如来にたすけられてほしい。 どうか、それぞれの命を精一杯生きて欲しい。 短いとか長いとか、いいとか、わるいとか、そういう計らいは微塵もいらない。 いのちはみな尊い。お互い係わり合いながら、関…

真宗とはわたしという存在を支えるものである

このブログを始めてからちょうど一年が経ちました。 また、自分を取り戻してからは一年半が経ちました。 この間、沢山の人に出会い、沢山のことを教わってきました。 それが世間で生きることにおいて、役に立つかどうかは、わかりません。 ただ、本当に自分…

ただ称えよの仰せ

如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり 親鸞聖人のご和讃です。 本願の目当ては苦悩の有情です。 自分の思いに、他者に、世界に、がんじがらめになって、身動きが とれず、いつもどうしたらいいんやと思い…

存在の歴史

確かに今、人として生まれた自分は、本当に頼りなく、 力のなく、慈悲のない者である。それは事実である。 変えようがない。 しかし、今人として生まれたということは、 数え切れないにんげんの歴史の上で、たまたま起こったことと いえる。 生まれてすぐ無…

極重悪人とは誰か

なぜ苦しいのか。なぜ孤独なのか。 その答えを外にばかり求めてきた。しかし、答えは外ではなく内にある。 我が身さえよければいい。他はどうなってもかまわない。 そもそも関心がない。わが身の安穏さえ保てればそれでいい。 他を責める心が止まない。一切…

だからこそ、一緒に

光明無量は、知っているよ。 寿命無量は、一緒にいるよ。 十方衆生は、私ひとり。 十方衆生は、貴方ひとり。 私のことを、罪悪甚重煩悩成就の凡夫よと仰る。 悪人とは、人を傷つけ、差別し、他のいのちを奪うことが やめられないもののこと。 それは自分のこ…

聞かせて頂いたこと、そして思うこと

人はよいと思うことしかしない。 地獄とは、堕ちるものではなくて、人間ははじめから既に地獄に堕ちている。 地獄に堕ちているとは、地獄をはらんでいるというか、具足というか、 それから逃れられないということ。 それが各々の縁にもよおされて露わになる…

如来選択の道

故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と 候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうえに(ご消息十六通真宗聖典p771) 愚者とは、自分で道を歩めない者すなわち自分のこと。 その愚者は、自分自身の願いや望みさえわからず、生を貪るような …

ただ称えよの仰せ

依るべきものがなく、できることもなく、わかることがひとつもない。 とても悲しいことだと思うが、これが自分の実相。 何か分かるとかではなくて、本当に一切何も分からない。どうすればいいのか わからない。何をすべきかも、何を望んでいるのかもわからな…

ひたすら教化を受ける

仏法は広めるものではなくて、広まるもの。 それは、最も教化を受けた者から自然に広まるもの。 和田先生の言葉。 そもそも自分は伝えられる力がないのだ。 自分は教化を受けるもの、 どうか念佛してくれと呼びかけられているものなのだから、 それに相応し…

迷いのただ中だ

自分の思いから一歩も出られない。 思いとは、自分の都合。 煩悩と有限と身は一体であると教えて頂く。 そして、この身が所属しているこの世界は穢土といわれる。 穢土とは、堪忍の土(世界)ともいわれる。 本当に迷っているのだなと思う。どうしても分別が…

法を握らず、歓びを握らず手放す

佛に値遇するということを、即得往生といい、 初歓喜地に至るともいい、正定聚に住するともいう。 初歓喜地とは、菩薩が退転の位、すなわち、十信、十住、十行、十廻向という 境涯を超えて、初めて、不退の位に達すると大いなる歓びが起こる、と 聞いていま…

忘れていたもの

このごろ気になることがありました。 それは、どうして言葉が届かないのか、ということ。 答えは目の前に、いや、身に寄り添っているのに、なぜ届かない? あるいは、どうして自分は大事な人のことを受け止めてあげることができないのか? なぜ理解してあげ…

如来如実の言

五濁悪時の群生海、如来如実の言(みこと)を信ずべし(注釈版真宗聖典p203) 正信偈にて、親鸞聖人が仰る言葉です。 信ずべしとは、聞即信、すなわち聞くしかないということ。 何を、如来選択の念佛のいわれを。 聞こえるまで、たとえ聞こえても、いよいよ…

思いに一切用事なし

こう思う。 こう感じる。 やめたほうがいい。いいと思う。 正しい、正しくない。好き、嫌い。損か、得か。 分けて、比較しないと認識ができない。比較分別心。 さらに、自分が選んだ方に徹底的に執着する。我執。 そして、その根元である無明。 しかし、それ…

如来の御恩を仰ぐ

最も悲歎すべきことは、信じるよりも先に深く、深く信じている、 一切のものが根無し草のごとく、全く力を具足していないことである。 家族も、家も、金も、友も。そして、最大の問題は、比較分別心、差別心、 我さえよければよい、自是他非の心を自分自身が…

本願は何も要求しない

迷ったらダメだ。 こんな浅ましいことを考えてはダメだ。 どうにも憎んだり、怒りの心が止まない。 貪りもやまない。 四十八の本願の中には、何一つ、私に求めていない。 汝、我が名を称えよ。称えるばかりで、必ず助ける。 これは何も私に要求していない。 …

真宗の救い

阿弥陀如来の救いとは何か。 浄土真宗の救いとは何か。 すなわち、南無阿弥陀佛が聞こえるとは何か。 釈迦如来を通じた、阿弥陀如来の言葉を確かめる。 当に菩薩に記を授くべし。今説かん、なんじ、諦かに聴け。 十方より来れる正士、吾、ことごとくかの願い…

仕事帰りに

仕事帰りに、お寺に行きました。 遅れて行ったので、五分くらいしか聞けませんでした。 先生は仰りました。 阿弥陀佛に遇えて、本当に良かったと思う、と。 阿弥陀佛に南無しなさい。阿弥陀佛とは浄土そのものであります。 浄土とは、大悲の世界なのです。 …

讃嘆と悲歎

親鸞聖人の教行信証のうち、御自釈は結論ではなく、 自分自身の感動を表白したものである、と聞く。 結論のようにずっと聞いていたなぁと思う。 よき人法然上人に出遇った歓び、本願念佛にたすけられた感動。 たすけられながらも、まったく変わることがない…

変わりどおしや

ある住職が、病に臥し、お見舞いに門徒の方がいらっしゃいました。 「ご住職、お変わりはありませんか?」 「わしは変わりどおしや。」 台風が来ています。暴風雨により、災害が起き、交通機関も 混乱が起こります。被災されたり、不幸に見舞われたりする方…

聞く理由

如来の本願を聞く理由。 善悪のうち、善を積む。宿善のため聞く。 こうではなく、聞かねばならない問題を、 癒やすことのできない深い悲しみを、 他と自分を分け、自分の思いに執着し、握りしめる、 こういう性を具足している自分だから、聞かねばならないの…

仰せしかない

現実のわが身、わが身の生きるこの世界は、自分の思いを食い破っている。 こう聞かせて頂くけれど、本当に自分の思い通りにいかないこと、 自分が破られることを、絶対的に否定している。受け入れられない。 絶対に破られたくない。自分が間違いなく、正しい…

出離生死

生死を出る、と聞くと、どうしても、分別に陥る。 原因Aを滅すれば、苦しみはなくなる。 だからAを消し去る。そして、Bを得る。 あるいは、生きることは「よいこと」だ。 死ぬことは「つまらぬことだ」。また逆も然り。 出離生死とは、こうではない。 A…

決定要期

本願を信じ、念佛を申す。 自分自身は、自分の臨終の後に、 どこへいくのか、どうなるのか、分からない。 ただ、汝、我が名を称えよ、称えるばかりで、必ず助ける、という 仰せをそのまま聞いて、お念佛申すだけである。 特別なことは何もないし、有難い心境…

現実をうばい返す

救いは常に現前でなくてはいかんのです。 救いの予約が救いでない。 救いというのは『今、ここに』という現前の救いでなくてはいけない。 救われようのない現実を、そこに自分の唯一の生きる道があるんだ、と。 言っていうなれば現実をうばい返すんです。 救…

あるがままを受け取る

物事をあるがまま、そのままを受け取る。 どうしても、思いによって捻じ曲げてしまう。 しかし、思いは思いのまま、放っておく。思いはやがて消えていく。 鐘の音がやがて消えていくごとくに。 悲しいときは、悲しいままに。嬉しいときは嬉しいままに。 辛い…

小さな声でお念佛を

歩くときも念佛。 風呂に入るときも念佛。 洗濯物を干すときも念佛。 時、場所を選ばない如来選択の行。 小さな声でお念佛を申し、自分の耳に聞く。 行住坐臥 不問時節近久 大きな声で、有難い声で、節をつけて、お念佛を申さなくてもいい。 自分で聞き、自…

本当に何もわからない

どうすればいいのか、とか、 あの時、ああすればよかったのかとか、 そういう思いがわいてくる。 日常の中でも、どちらがよいのだろうか、 この言葉を使ったほうがよいだろうか、色々と慮る。 定善を息慮凝心といい、慮りを止め、心を集中すると伺う。 散善…

許されていたということ

本願に出遇うということは、すでに許されていたのだと知ること。 本願に呼び掛けられているということは、すでに許されているということ。 出遇うということを通して、初めて、自分において、 本願が届くということ。 聞こえた、ということ。 聞即信。 聞こ…

癒されることのない悲しみ

どうしても、自分の都合で分けてしまう。 自分自身も、他人も、受け止めることができない。 欲望の満足、都合の満足を幸福とし、都合の悪いことを悪しと する思いが抜けない。 人と生まれたよろこびというよりは、生まれなければならなかった、 あるいは、人…

風の前のちりに同じ

人間は根本的に我執を抱えている。 我と我がぶつかる故に、強者と弱者の相が生じる。 強者は力をもって弱者をねじふせる。 力とは、貨幣であり、立場であり、性格であり、性別であり、 あらゆるものである。 そして、弱者は涙を流す。虐げられる。耳を傾けら…

持たないと持てないは違う

あるか、ないか。 損か、得か。 好きか、嫌いか。 分別心には、二つしかない。二つしかないという事は堅いということ。 柔軟、寛容が欠落している。 自分の思いにそぐわないこと一切を許せないということ。 これが分別心、我執の心である。 残念ながら、世界…

決定的な出遇い

あの人に出会わなければ、今の自分はなかった。 あの出遇いのおかげで、今がある。 人と出会うのは不思議なことだ。 出会おうとして、出会えるのではなく、たまたま出遇う。 声が聞こえた。 本当に決定的な出遇いが、人間には起こる。 生死流転を六道輪廻と…

笑っていますか?

心の栄養は足りていますか? 心の栄養とは、感動であり、驚きであり、感謝であり、笑うことだと思います。 この身は、常に代謝を繰り返しており、様々な栄養を摂取しなければ、 維持することができません。たんぱく質、糖分、カルシウムetc 栄養が足りなけれ…

いよいよ聞き続ける

いよいよ聞かねばならない。 いよいよ自分の思いが、ますます破られ続ける。 破られることは、驚きであり、感嘆であり、悲歎でもある。 ますます自分の身の現実、心のありようを見せ付けられる。 あぁ、そうであったか。本当に思いの中から一歩も出ることが…

依るべきもの(たのむべきは弥陀一佛)

『たのむべきは弥陀一佛、よるべきは念佛一行、 そのことにいったい何の不足があるのか』 和田先生の言葉(信の回復(東本願寺出版部)P182-183) 本当に当てになるものは、一体何か? 本当に自分を大事にするということは、一体どういう事なのか? 思いに…

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり

仏法を聞く、聴聞することを「善いことだ」と思っていないか? 「善い」から聞くのではない。 「聞かねばならない問題」を抱えているから、聞かせて頂くのであって、 「善悪」の区別のうえに、「善」を選んでいるから聞くのではない。 「善悪」に立って、仏…

土台を大切にする

幼いころ、スポーツ、勉強をするにしろ、基本をないがしろにしていた。 意味がわからないから。地味で目立たない。 歳をいくばくか重ね、ようやく気づく。 基本とは歴史であり、歴史には歩みがあり、根拠がある。 お釈迦様にせよ、イチローにせよ、道を歩み…