人間は、意味を食べる生き物だと、ご法話で聞いたことがある。
自分が思うに、意味がないことをするのは、苦痛である、ということでは、
ないかなと思う。
確か、どこかの国の刑罰か、何かでこんなことがあった。
土を片方から、片方へ運ぶ。すると、片方の地面には穴が開き、
片方の地面には、土が積もる。
次は、積もった土をまた穴に戻す。そして、また穴を掘る。
そして、また穴に戻す。
これを延々と繰り返す。すると、それを課せられた人は、自殺とか
精神疾患をきたす、ようになる。こんな感じだったと思う。
神がいるとか、仏がいるとか。それを沙汰する人は少ないと思う。
ただし、自分の人生、自分の命が一体どういう意味があるのか。
自分とは何なのか。何のために存在しているのか。
その答えは誰が知っているのか。
それに気づいた人を目覚めたひと、ブッダという。
眠り続けている私が、これまでもずっと眠ってきたし、
今も私は眠り続ける者なのだと気づくには、
目を覚ましたひと、あるいは、先に我々は眠り続けるものだと
教えられた方に尋ねるしかないと思う。
さて、自分は眠り続けるものだと気付かされた人が、
いったいどのくらいいるのか。願わくば、みな気づくべきだと心から
思っている。
法を灯りに生きてゆけ。
お釈迦様の言葉をよくよく味わう必要があると
思うのである。