安心とか、安らぎとか、満足とか、自由とか。
阿弥陀さんの救いを色んな形で表現できると思うが、
自分の味わいをいうならば、
お前はお前でいいんや、後生は弥陀が引受けた。
お前はお前のままで生きてゆけ。大丈夫や。
何時も阿弥陀さんが憶念して下さっている。
自分には是非もわからない。何かを助けることもできない。
愚かな心しかない。
それでも、そう言って下さる人がいらっしゃれば、その方が決して
自分を見捨てないのであれば、かたじけのうございますと
念佛申すだけで十分なのである。
我が人生は、ありのままの自分を引き受けて下さる方に遇うためだけに
在って、それが叶った満足のゆく人生だったと心から思える。
だから、もうむなしくないのである。
15/12/19追記
多くの人を自分自身から解放し、自由にし、
安心を与え、寄り添い続ける働きを、本願力と申すのだと思う。
そして、それは生きている今、自分自身に成就する。