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むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

2015年

今年のはじめは、絶望だった。

何も見えない。暗黒。希望もない。どうしたらよいのか、

何をすればいいのかもわからない。

 

持っていたもの、信じていたもの、すべてを捨てた。

というか、捨てざるを得なかった。

 

ことごとく、自分の心を支えてくれる力がなかった。

 

毎日がむなしく、立ち上がる気力さえ乏しい。

この世の中で、どう立ち回り、どう振る舞い、何を支えにすればよいのか。

皆目検討がつかない。

 

その中で、不思議なご縁で、

一度捨てた浄土真宗の御教えに触れる機会があった。

 

あー、そういえば、あんなこと聞いてたことがあったなぁ。

 

本当にこの程度の認識だった。

 

幾度か法話のご縁を頂く中で、仏、寿命無量、光明無量という言葉が

心にひっかかった。

 

もう何もあてにならない。自分も自分の外にあるもの、ことも一切。

 

寿命無量、光明無量の方がいらっしゃり、念仏申せとおっしゃるならば、

もはやだまされてもかまわない、と諦めがついたのだろうか。

 

心が転じた。翻った。光が射した。明かりが灯った。

 

如何に自分の心が逆さまだったか。今も逆さまだが、逆さまであることに

気がつかなかった。

 

そして、それを憐れみたまい、かつ、自分を信じきっていた如来がましまし、

自分をひたすら待ってくださっていた、そのことを知らされた。

 

言葉では表現できない心の変化。

 

そこから、自分は生き返った。ずっと心が死んでいた。

モノクロのように、鮮やかさもなく、すべてがむなしかった。

そして、それは誰のせいでもなく、ひとえに、自分の心、

自分自身が原因であった。自分自身が自分を縛っていた。

 

今年は、転じた一年であり、再生の一年であった。

ひとえに、支えてくれた大事な人、そして阿弥陀さん、

諸仏、菩薩方に心から感謝したい。

 

自分の生には意味があった。

これだけで、自分の人生は十分に有意義なものだった。

 

この先、何がどうなっていくか、自分の業に引かれるのだろうけれど、

それを堪忍し、念仏申していく。それだけである。