今年のはじめは、絶望だった。
何も見えない。暗黒。希望もない。どうしたらよいのか、
何をすればいいのかもわからない。
持っていたもの、信じていたもの、すべてを捨てた。
というか、捨てざるを得なかった。
ことごとく、自分の心を支えてくれる力がなかった。
毎日がむなしく、立ち上がる気力さえ乏しい。
この世の中で、どう立ち回り、どう振る舞い、何を支えにすればよいのか。
皆目検討がつかない。
その中で、不思議なご縁で、
一度捨てた浄土真宗の御教えに触れる機会があった。
あー、そういえば、あんなこと聞いてたことがあったなぁ。
本当にこの程度の認識だった。
幾度か法話のご縁を頂く中で、仏、寿命無量、光明無量という言葉が
心にひっかかった。
もう何もあてにならない。自分も自分の外にあるもの、ことも一切。
寿命無量、光明無量の方がいらっしゃり、念仏申せとおっしゃるならば、
もはやだまされてもかまわない、と諦めがついたのだろうか。
心が転じた。翻った。光が射した。明かりが灯った。
如何に自分の心が逆さまだったか。今も逆さまだが、逆さまであることに
気がつかなかった。
そして、それを憐れみたまい、かつ、自分を信じきっていた如来がましまし、
自分をひたすら待ってくださっていた、そのことを知らされた。
言葉では表現できない心の変化。
そこから、自分は生き返った。ずっと心が死んでいた。
モノクロのように、鮮やかさもなく、すべてがむなしかった。
そして、それは誰のせいでもなく、ひとえに、自分の心、
自分自身が原因であった。自分自身が自分を縛っていた。
今年は、転じた一年であり、再生の一年であった。
ひとえに、支えてくれた大事な人、そして阿弥陀さん、
諸仏、菩薩方に心から感謝したい。
自分の生には意味があった。
これだけで、自分の人生は十分に有意義なものだった。
この先、何がどうなっていくか、自分の業に引かれるのだろうけれど、
それを堪忍し、念仏申していく。それだけである。