善因善果、悪因悪果、自因自果(自業自得)
私には、何が善で何が悪なのか、わからんのです。
わかる、これが善や、あれが悪や、そう思って生きてきました。
ただ、よくよく考えると、私が善や、悪やと思っていることには、
表裏があります。
よかれと思ってしたことが、相手の癪に障る。
逆に、何気なく言葉にしたことが、相手を結果として励ましていたり。
何がなんだか、さーっぱりわからなくなってしまいました。
だから、わかると思い込んでいたのは、まったくの検討違いでありました。
ゆえに、自分は、今、自分にできること、それは、他人から見たら、あまりにも
小さく、おろかで、むなしいこと、かもしれない。
それでも、自分は、そのことに、できるだけ、思いと願いと感謝をこめて、
手足を動かし、できるだけ前向きな言葉を使いたい、と思っています。
たとえ、誰もしらない、わからないことでも、そのことは、
天知る、地知る。人知を越えたものを、人は天と呼び、地と呼ぶのではないかと
思います。そして、それは決して、欺くことはできない。
そして、大いなる願いに気がついたとき、自分の歩みを振りかえって、
無駄ではなかった、これでよかったのだ、とそうしみじみ思うことを、
親鸞聖人は、教行信証に、『遠く宿縁をよろこべ』とおっしゃったと味わっています。