むなしさとともに

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まこと、とは何だろう

自分が気になることに、顛倒がある。

 

顛倒とは、ひっくりかえってしまう、ということだ。

 

信じるものが、ひっくりかえる。

 

都合や立場でひっくりかえる。

 

自分の意思もひっくりかえる。

自分は、わが身が一番かわいい。

 

自分の生存が脅かされたとき、強い悪縁がやってきたとき、

何をしてしまうか、わからない心を抱えている。

 

それに対し、変わらないこと、真実、まこと、とは何だろう。

 

それは、大慈悲心だと味わう。弥陀の大慈悲。

わたしを憐れみ、どんなに離れていこうとしても、決して逃さない、

絶対あきらめない。必ず、安心させる、という決意。

それは、変わらない働き。仏の憶念の心。

 

顛倒ということは、決定がない、ということだ。確かではない、と教わる。

 

決定がないから、方向が定まらない。心が暴れる。泣き、わめく。

 

むなしい、いやだと愚痴をこぼす。死んだらしまいや、と勝手に自分が

決定し、命を失ってしまう。むなしく、すごして、臨終を迎える。

 

衆生、わたしには決定心がない。

 

ゆえに、仏の決定に従わざるを得ない。

 

仏の決定を選択本願念仏、五劫思惟、と味わう。

そして、念仏は正定の業であると教わる。

 

正定とは、決定のことである。

 

わたしは、全く何がなんだか、わからない。

念仏が何かもわからないし、善悪是非、邪正も何もわからない。

一切がわからない。

 

一切わからないなら、仏の決定に従えばよい。仏が行ぜよ、と

おっしゃることに従えばよい。わたしが決めなくていいし、

決める必要がない。

 

自分は何をしたかったのだろうか?

 

ただ念仏せよ。念仏が何かわかりませんが、

はい、と念仏申す、それだけである。

 

 

一心専念 弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者

是名正定之業 順彼仏願故