むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

止まない涙の果てに

今宵の雨の音。

 

しとしと。

 

ウォークマンの音を普段の半分以下にしても、届く音。

 

日常の音は耳障りだ。聞きたくない言葉ばかり聞こえる。

 

いや、自分もそういう言葉しかはいていないし、はくことができない。

 

なんまんだぶは優しい声だ。

 

渇いた地面にじんわり沁み込む。

 

そういうものになりたいなぁ。なれないな。

 

かなしいけど、楽しいな。

 

独りでも、独りじゃないな。

 

お慈悲はとても有難く、尊く、深く、澄んでいて、

どこまでもどこまでもやさしい。

 

いつかそういうものにわたしもなりたい。

 

(2016.02.10追記) 

いや、どうしてもなれない、ざまはて、でありました。

 

それを憐れみたもう仏まします。

 

その仏を南無阿弥陀仏と申します。

 

 その仏の涙は、今まで決して乾くことはありませんでした。

 

しかし、それでも、諦めず、念じ続け、願い続け、

 

信じ続けてくださっていたのでした。

 

そして、その願いは、ようやく、わたしの身に成就した。

 

そのことを聞其名号 信心歓喜、即得往生 住不退転というのだよ、と

 

お釈迦様が教えてくださりました。

 

なむあみだぶつ