浅ましい、恥ずかしい、それでいながら、
普通の人間のふりをして生活をしなければ、生活が立ち行かない。
悪業を一つも止められない。止める力がない。
善悪も一つもわからない。わけのわからないことをするしか、
生きようがない。
これが、自分の正直な姿である。
そして、誰にも云えない深い闇を抱えている。
絶対に口に出してはいけない。
たまたま、10年くらい前、ある人に充てた手紙を見た。
そこには、自分には、阿弥陀さんなどは、到底信じられない、
と書いてあった。
そのころ、既に、聴聞のご縁から離れて、1年くらい経っていたようだ。
そのときの、自分の正直な気持ちだと思う。
それが、どうして、こうなった?
不思議なご縁としか、言いようがない。
そして、おかげさまで、としか思えない。
自分には、菩提心というような心は、欠落している。
自分にあるのは、邪な心、無常のものを貪る心、
そういう浅ましいものが積もりに積もったものが、わたしの心、いや、
自分自身、そのもの、自分にも分からない底知れない浅ましさ。
それが、どうしてこうなった?
南無不可思議光如来。
帰命尽十方無碍光如来。
必ず、汝の上に、本願を成就させる、という弘誓の強縁。
本願力廻向。
常に浅ましい自分と向き合うことが、そのまま、
阿弥陀さんに向き合うこととなる。
阿弥陀さんに向き合うことが、そのまま、自分を照らされることになる。
言葉も思いも絶え果てた、表現できないこと。
そして、そのことは、決して、凡夫では、思議できない、とおっしゃられている。
また、謗る衆生が居ることをお釈迦様は、既におっしゃられている。
そして、自分は、阿弥陀さんに対して、
頭を下げるような心がないけれども、自然に頭を下げざるを得ない。
仰がざるをえない、ことになってしまった。そこには、微塵も自分の
力は存在しない。
全他力。本願力。本願成就力。光明。名号。念仏。横超。
南無阿弥陀仏。ただ念仏。選択本願念仏。正定業。
極重悪人。邪険驕慢悪衆生。一生造悪。唯除五逆誹謗正法。
これが、自分自身。
しかし、絶対に助からない自分にめがけて、法蔵菩薩は
ご本願を建ててくださっていた。最低最悪のわたしのためのご本願。
仏法は、本当に広くて、深い。
このご縁は億劫にも遇いがたいご縁だよ、と教えて頂いた。
そして、絶対に助からないことが、そのまま助けられたということだよ、
と聞かせて頂きました。
助かるじゃない、助けられる。
皆様に仏縁あれかし。
仏縁ほど、有難いものは絶対にありません。
どうぞ、お念仏申してください。
なむあみだぶつ