むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

生きてよし、死んでよし

浄土真宗親鸞聖人の教えは、

 

本願を信じ、念仏を申さば、佛に成る、と頂きます。

 

現生では、本願力によって初歓喜地、不退転の身とさせて頂き、

 

娑婆の縁の尽きたとき、浄土へ往生し、佛と成らせて頂く。

 

苦しい、つらい、現実をさしおいて、

 

浄土へ往生したら、楽にする、という生易しいものではない。

 

生きている今、私の身の上に、本願が成就する。

 

これが、浄土真宗である。

 

そして、それは、死ぬことはもう問題ではない。嫌だなぁと思うことと、

恐怖とは異なる。もう死ぬことは、用事ではない。

 

良いようにして頂いたら、いい。大丈夫。

 

今、ここに記したことは、心と口(手)は一致しています。

 

浄土真宗とは、決して、逃げる教えではない。

 

艱難辛苦に、真正面からぶつかり、果てるなら、果てればよい。

破れるなら破れればいい。死ぬなら死んでよい。

 

これは、親鸞聖人が命の歩みをもって、示して下さっていると味わいます。

 

わが煩悩を念佛の炎で燃やし尽くす。それが今の往生道。今の歩み。

 

浄土真宗とは、人間を人間足らしめ、凡夫でも歩ましむる仏道と体解する。

 

だから、弥陀の本願に遇わせて頂いて、本当に良かった。心からそう思う。

 

 

17.03.19追記

 

こちらが良いか。あちらが良いか。

生きるのを良しとして、死ぬのを悪しとする。

そうではなくて、生きるもよし、死ぬるもよし。

汝を決して捨てないという仰せに、ただ託すだけ。

助かるとか助からないとか知らない。こういうことを

言いたかったのであります。

 

17.10.18追記

 

証知生死即涅槃、と親鸞聖人は仰った。

 

仏法の真髄は「即」の一字に極まると自分は頂いている。

 

転は、まだ一呼吸ある。これがよくわからなった。

 

即は、そのまま、間髪を入れない。

 

実相を観察するところに、あってはならない煩悩と

 

問題のない煩悩の水際が浮かぶ。ここを本当に味わっておられるのが、

 

聖徳太子であり、まことに驚嘆すべきことであります。