気がついたら、3月11日。
無常が大勢の人にいっぺんに押し寄せてきた日。
それに対し、同情や追悼の心が続かず、毎日の自分の有様にしか、
関心を示せない自分は、一方で生かされている。
今生は、道理に合わないことが沢山ある。
いくらまじめに生きていても、全く報われないことがある。
いくら迷惑をかける生き方をしていても、豊かに過ごせることがある。
しかし、お釈迦様はいう。
必ず、辻褄があうぞ、と。
現在があるのは、過去があったから。
今があることは、未来があるということだから。
大自然や宇宙と比べ、人間はなんとかよわいことか、と思う。
しかし、その人間は、自分がもっとも正しく、尊いという心をもたなければ、
日暮ができない。
自分も他人様も全く同じである。
何もたよりにならない、力のないこの世界で、唯一、たよりになる方がまします。
本願の確かさ、間違いのないこと、わが身に成就すること。
そして、それは寿命無量、光明無量という裏づけを成就された上の
本願力。
ただ念仏のみぞまことにておわします。
何も力のない私のために、言葉、音の仏となってくださった、このご苦労。
ただただ、本願力を仰ぎ、お念仏申す日暮をする、それだけである。