むなしさとともに

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夢告の意味

親鸞聖人の夢告の意味が、曖昧な感じだった。

実感に乏しく、ピンとこなかった。

 

往生要集を拝読し、身に堪え、実感が伴った。

 

罪人は地獄で、獄卒に叫ぶ。何ぞこれは、なぜ私は、こんな目に遭うのかと。

 

獄卒は答える。

 

汝は、造悪の業因によって、悪果を受けているに過ぎない。

自分でこしらえた業に引かれて果を受けるのは自然の結果である。

なぜ愚痴を申すか。

 

 

自分は、造悪をやめる事ができない。やめるということは、

死に等しい。どうしても、どうしても、やめられない。

 

観世音菩薩は、汝の罪を引き受け、共に往生するぞと、

聖人に告げた。

 

もう、何にも間に合わない。

間に合うというのは、根機に相応すること、と体解する。

 

八万四千の教えがあっても、私の自性に相応するものは、唯一と聖人は仰る。

 

 

それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。

 

如来の本願を説きて経の宗致とす、すなわち仏の名号をもって

 

経の体とするなり(註釈版真宗聖典p135 教行信証

 

本願成就のために名号を選択された心の背景を、

生活を通して確かめていかないといけない。

 

本当にきつい教えだと思う。でもその後ろに、如来まします。

 

如来まします故に、日暮しが成り立つ。

 

 

極重悪人唯称仏がとても重たい。