難儀を殺すのではなく、生かし切るのが、弥陀の本願。
難儀から逃げるのではなく、受けとめる。
こらえ切る。
ここに仏法の真髄を思う。
追伸
本当は逃げたくて仕方がないんです。
不都合な現実を受け止めたくないし、誰かのせいにしたい。
いつまでも平和で、夢をみていたい。苦しみはどこかへ、
鬼は外、福は内といっていたい。
でもね、それは何の解決にもならないことも知っている。
宿業とは、今の自分の存在全体、自分を成り立たせている一切のことを
指すと味わいます。
ゆえに、この宿業から逃れることはできない。
逃れることのできないものから、逃げたいと思うが故に、
苦しみは起こる。
だから、逃れるのではなく、こらえる、今生は耐え忍ぶことで、
道が開くと思う。
自分でこしらえたことは、自分で始末しなければならない。
本当は自分にものすごく弱いし、卑怯で、姑息なのです。
でも、そのおかげで、本願とご縁ができた。
だから、憎むべきことではなく、拝むべきものと頂きたく、存じます。