むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

むなしさとともに②

むなしさとともに、の「ともに」についてです。

 

「ともに」は、共にであり、友にであり、倶にであります。

 

本願は、常に十方衆生、具体的には、

わたしいちにんに、いきとしいけるものすべてに、平等に

かけられた純粋な願いです。

 

私は、今、本願と共に在る。この自覚が、

自分にとっての支えであります。

 

「むなしさ」とは、自己及び世界には、何一つ、一貫して、貫く、

貫徹するようなものはない、のかもしれない、という

泉のようにわいてくる思いでありました。

 

それは、否定するものではなく、浄土真宗に出遇えたご縁でした。

故に、影の如く身に沿っていて下さった、友であります。

 

倶に。倶会一処(阿弥陀経

わたしには、貫徹するものは何一つない。

わたしは凡夫である。

 

この自覚の裏には、絶えず本願、念佛がまします。

 

故に、永遠、まことであると親鸞聖人から聞かせて頂きます。

本願とは、無量寿、無量光だからです。

 

そして、不思議なことに、この自覚は、人間であり、

仏法とご縁を頂き、念佛に出遇えたなら、すべての人に立ち上がってくる

平等な、一つの想い、と聞かせて頂きます。

 

この自覚の共有が、浄土であると味わいます。

 

そして、浄土では倶に、一つの想いを、すべてのいのちと共有できる。

 

そのことを倶会一処というのだと味わいます。

 

しかし、

 

浄土は、死んでからの話ではなく、今、ここで開く世界です。

 

本願とともに。南無阿弥陀仏