まことの仏法を説いてくださる方は、この人だけだ。
だから、自分はこの人から聞くしかないんだ。
こんな事、思いませんか?
これは偏りです。
お釈迦様は、阿弥陀経で、東方、 南方、西方、北方、
讃嘆する如く、ガンジス川の砂の粒の数の仏が、
おられるのだよ、と仰ります。
もし、現代において、たった一人の善知識しか生めないような
本願なら、数え切れないほどの諸仏方が、阿弥陀さんを
讃嘆するでしょうか?
一切の諸仏方に護念せらるる経と、お釈迦様が仰るでしょうか?
本願の名号、念佛を、保証されるでしょうか。
本願は、そんな脆弱な、死んでいるようなものではない。
今現在説法。過去未来現在を、貫き、躍動し、
多くの人を自由にし続ける大きな力、畢竟依であります。
素晴らしい師が、素晴らしい弟子を育て、お念佛の教えは
幸い、今、私の上に届けられています。
親切にも、現代にはネットで、本で、沢山の情報を探すことが
できます。法話案内のサイトで、最寄りのお寺の法話日程も
簡単に得られます。
最後にいいたい。
自分の目で、耳で、身体を運んで、
本当に善知識は一人ではないのか、自分自身で確かめる必要があります。
そして、自分の意思で、選択しなければならない。
選択とは、選ぶことであり、それは即ち捨てることになるのだから。
それで納得して今に留まるのと、違う道を選ぶのかでは全く違うことに
なると思うのです。どうか悔いのない命を、本願とともに。