口に関する戒めは、意業、身業よりも多い。
改めて考えると、一つさえ戒律を保つことができない。
そして、言葉が危ないなと思うことの主たる要素に、
「言葉の善悪は、自分では決定できないこと」を思う。
何気ない一言が、希望を与えることがある。意図していなくても。
逆に、何気ない一言が、致命的に、相手に突き刺さってしまうこともある。
自分が思うに、言葉の善悪を決める主体は、
言葉を発した自分ではなく、言葉を聞く相手(客体)にあると味わう。
だから、言葉を大切にしたい。
できるなら、柔らかい言葉を用いたい。壊れない、堅いということは、
柔らかいということでもある。柔らかいということは、
陽だまりや月明かりのような、優しさを伴うと思う。
どうせなら、みなともに、お念佛とともに。
何もかも雑炊にしてあたたかく(種田三頭火)
弥陀のお慈悲も われ宿業も