むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

失敗が成仏する

即得往生 住不退転

 

親鸞聖人の教えは「現生不退」

 

現在、生きている、今、阿弥陀如来の本願力に乗じて、

不退の位の身に摂取される、と聞かせて頂きます。

 

そして、このことを自分なりに味わうならば、米沢英雄先生が

 

「信とは何か」の著書の中で仰っていた、

 

「失敗が成仏する」ということであると体解します。

 

仏法とは、『縦糸』である、と善導大師は教えて下さいました。

 

それに対し、わたしの過去現在未来の歩みは『横糸』であります。

 

生地に、模様を描くのは「縦糸」のはたらきによるそうです。

 

つまり、本願の名号が、本当に自分に響いたとき、

 

これまで一切の歩み、嫌なこと、苦しいこと、悲しく、つらく、

 

寂しく、うれしく、楽しく。一切の出来事、失敗に、本願の縦糸が

 

貫き、意味をもたらしてくださると味わいます。

 

そして、「あぁ、自分は自分でよかったんやな」という思いがわいてくる。

 

これが自分における「失敗の成仏」です。

 

過去に後ろ髪をひかれ、未来に夢を抱き、現実を生きてきませんでした。

 

が、無量寿、無量光に摂取された今、ようやく、夢を見ることでしか、

 

生きられないものだと教えていただいております。

 

凡夫は凡夫のまま、何にも分からぬままに、ただ、如来の仰せに従う。

 

これが、凡夫の仏道、すなわち浄土真宗であると頂いております。

 

私の横糸だけでは、生きることに意味を見出すことはできませんでした。

 

本当に自分自身の身に寄り添うもの、そして、決してわたしを裏切らぬものを

 

「摂取不捨の利益」と申します。

 

今生、不思議なご縁で、遇い難くして、今、遇うことを得た。

 

聞き難くして、すでに、聞くことを得た。

 

親鸞聖人の教行信証のお言葉のとおり、今生で、聞くことを得ました。

 

どうか、お念佛申し、耳で聞いてください。それが、如来の願いであります。

 

本願とともに。南無阿弥陀仏

 

追伸 当初、過去が成仏するとしていましたが、

米沢先生のご著書は、失敗が成仏するとなっておりました。

よって、訂正しました。慎んでお詫び申し上げます。