むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

わが師の恩

自分にとって、真の師と仰ぐ方は二人います。

 

一人は行の師。鍵山秀三郎先生。この人に遇えなければ、今はない。

 

行に励んだ、あの日々がなかったら今はない。

 

 

心あるところに宝あり。

 

この言葉の心を、わたしは弥陀のまごころと味わっています。

 

 

もう一人は法の師。藤谷秀道先生。

 

先生は著名な方ではないけれど、その歩みのほとんどを布教に

まわられた方で、実際に生身で遇ったわけではない。

 

しかし、この先生の教えは、自分の肺腑に沁みるのである。

 

心から、本当にそうやなと頷ける。

いや、頷かざるをえない響きを感じる。

 

なぜなら、先生自身が生身で仏法にぶつかられ、先に歩んで下さって

いるからこそ、その言葉の一つ一つがものすごく重いのである。

 

この方の教えに出遇わなければ、この先、どう向き合っていけばいいのか、

わからなかったと思う。

 

藤谷先生は、自分にとって、方向を明確に示してくださった、真の師である。

 

不思議なご縁で、お二人とも、お名前に「秀」の字がついておられる。

 

他にもたくさんの先生に恵まれて、お育てを頂いている。

この事実は、本当に有難く、尊いご縁である。

 

 

しかし、自分にとって、この二人の師は、特別な思いを抱く、

懐かしい方である。

 

本願とともに。南無阿弥陀仏

 

16.12.21追記

 

初めて藤谷先生のお声を聞かせて頂くご縁に遇わせていただいた。

 

本当にありがたいご縁を頂いたと思う。

 

繰り返し、巻き返し、師の言葉を確かめさせて頂きたい。

 

17.10.18追記

 

鍵山先生にお会いしたとき、本当に驚いた。

こんな人が存在するのか?凡事徹底、という本を古本屋で買って拝読し、

たまたまお会いするご縁を頂いた。

こんな人になりたい、と初めて思ったのだと思う。

 

尊敬すべき人に生まれて初めて出会った、そういう出会いだった。

 

鍵山先生は、お念佛の教えとはなんら関係がない。

しかし、菩薩と思えるような人に初めて出会った、そういう意味で、

先生から教わり、先生の歩みに育てられ、今も流れ続けているような

ことが身についているわけで。

 

そういう意味で、よき人に出遇う、ということが本当に大切なことの

ように思います。