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むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

役立たずなんていない

ラジオでイギリスにおられる僧侶の方の話を聞かせて頂いた。

 

托鉢の時、言われた言葉。

 

Useless

 

お前は役立たず。

 

それを言われて考えられたそうだ。

 

自分は、誰にでも優しく認めてもらいたい自分なのだなと。

 

そして、更に考えた。

 

Uselessの裏返しはUsefull。

 

Uselessという言葉は、自分自身に返ってくる言葉だと。

 

何故なら諸行無常であるから、自分自身も間に合わなくなる時が必ずくる。

 

その時、Uselessという言葉を使った人は、別の人からUselessと言われるだろう、と。

 

比丘や僧侶といわれる人の存在は、UselessとUsefullという相対という価値で

 

はかれない、と自分は思う。

 

相対で生きざるを得ないわたしにかけられた、願い。

 

汝は役立たずではない。汝が居てくれないと私は寂しいのだ。

 

汝はそのままでいい。一切は弥陀が引き受ける。どうかただ念佛申しておくれ。

 

どうか、ただ、念佛を聞いておくれ。

 

この心が籠もった、まことの言葉を、南無阿弥陀仏と頂いております。

 

相対は疲れる。相対は悲しい。相対は痛い。相対は自分の都合。

 

相対は分別であり、必ず表裏が伴う。故に顛倒する。

 

決定がない。

 

それを苦という。

 

 

僕は、もう、その価値観だけでは生きられない。

 

その相対をも含んで、自分の存在全体を許してくださる大慈悲を

仰がずには生きられない。大慈悲は決定している。

 

若不生者 不取正覚と。本願の成就に、弥陀は一切を懸けている。

 

願わくば、みなともに、誰も傷つけあわないで、仲良く生きていきたい。

 

本願とともに。なむあみだぶつ

 

追伸 しかし、自分の現実は、自分の都合に合わない一切のことを、

 

uselessと区別し、ゴミ箱に捨てている。

 

心は蛇蠍の如くなり。親鸞聖人の和讃が痛い。