むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

癒されることのない悲しみ

どうしても、自分の都合で分けてしまう。

 

自分自身も、他人も、受け止めることができない。

 

欲望の満足、都合の満足を幸福とし、都合の悪いことを悪しと

する思いが抜けない。

 

人と生まれたよろこびというよりは、生まれなければならなかった、

あるいは、人であるということの悲しみを感じる。

 

どうして、他を食わねば生きられないのか。どうして、

他人を利用しなければならないのか。どうして金が必要なのか。

 

この身、この思いを抱えていること。煩悩成就や煩悩具足という

言葉は、出来上がってしまっている、完成してしまっている、という

ことだと思う。

 

いくらそれが本願の働く場であると分かっていても、そういう

わが身我が心から離れることができないことはとても悲しいことだ。

 

そして、それは自分だけの問題ではなく、すべての命あるものが

抱える課題であるということは、本当に痛ましいことだ。

 

迷っていることさえ気がつかない、苦しいことも苦しいとさえ

思わない。そして、また迷い続ける。果てしなく、深く、重く。

 

本当に念佛申してほしい。たとえひとことでもかまわないから。

どうか念佛に出遇ってほしい。本願は切なる願いだと感じる。

 

 

本願とともに。なむあみだぶつ。