如来の本願を聞く理由。
善悪のうち、善を積む。宿善のため聞く。
こうではなく、聞かねばならない問題を、
癒やすことのできない深い悲しみを、
他と自分を分け、自分の思いに執着し、握りしめる、
こういう性を具足している自分だから、聞かねばならないのだと思う。
親鸞聖人が、善悪の二つ総じてもって存知せずと
仰っているのに、如来ほどに理解認識できるならば知っている、
わかるともいえるだろう。でも本当に何が正しいのか、何を悪と
おっしゃるのか、なんにもわからないのです。
自分にはこう聞こえる。
五濁悪時群生海 応信如来如実言(正信念佛偈)
聞いてくれよ、が如来の仰せ。それに応えて、ただ
聞いている。何を聞いてくれなのか。
如来所以興出世 唯説弥陀本願海(正信念佛偈)
弥陀の本願とは、念佛往生の誓願。
念佛を離れて、本願はなく、本願を離れて、念佛はない。
一つ、不一不二、表裏一体である。
そして本願念佛の謂れ、生起本末を聞けよ。お念佛の心とも
いえると思う。それを大悲という。
大悲が貫徹した時、如来と出遇う。大悲を拒絶し、
自分を拝んでいたのは、紛れもなく自分自身でした。
本願念佛とともに。南無阿弥陀佛。