むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

真宗の救い

阿弥陀如来の救いとは何か。

 

浄土真宗の救いとは何か。

 

すなわち、南無阿弥陀佛が聞こえるとは何か。

 

釈迦如来を通じた、阿弥陀如来の言葉を確かめる。

 

当に菩薩に記を授くべし。今説かん、なんじ、諦かに聴け。

 

十方より来れる正士、吾、ことごとくかの願いを知る。

(東方偈  注釈版真宗聖典 第二版p45)

 

この言葉は、阿弥陀如来が笑みを浮かべたのを見て、

 

観音菩薩が、どうして笑っておられるのですか?と尋ねている際の

 

阿弥陀如来の返事です。

 

(授記の意味)

 

佛が修行者に対して、未来に最高のさとりを得るであろうことを

 

予言、約束すること(注釈版真宗聖典p1495)

 

未来に必ずさとりを得るとは、一体何か?

 

釈迦如来のお言葉を尋ねる。

 

あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。

 

至心に回向したまえり。かの国に生れんと願ずれば、すなわち往生を得、

 

不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とをば除かん。

(本願成就文 注釈版真宗聖典p41)

 

結論は、名号が『聞こえた』刹那、不退転の位に定められる。

 

必ずさとりをひらく身に定まる。このことを不退転に住すといわれます。

 

(不退転の意味)

 

佛道を修行して証果を得ることに定まり、再び下位に退転しないこと。

 

浄土真宗では、信一念の時、正定聚の位につき定まるのを不退転に住するとし、

 

現生不退を説く(注釈版真宗聖典p1531)

 

阿弥陀如来の本願力に乗じて、不退転の位につかしめられる。

 

この言葉を端的に表すと、

 

念佛の衆生を摂取して捨てたまわず(観無量寿経 注釈版真宗聖典p102)

 

親鸞聖人の和讃であれば、

 

十方微塵世界の 念佛の衆生をみそなはし

 

摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

 

 

授記とは、阿弥陀如来の本願力により、現生不退の身に定められ、

 

娑婆の縁が尽きれば、必ず、この上ない佛のさとりをひらかしめられる。

 

約束を『佛』から告げられること、そして、それが私に聞こえたこと。

 

このように頂きます。

 

南無阿弥陀佛を聞くとは、念佛申すとは、常に授記を聞いている、

このようにいえるのではないだろうか。

 

本当はいつも告げている。でも、それが届かない。聞こえない。

 

ずっと聞こえなかった。でも、聞こえた。

 

 

東方偈で阿弥陀さんの言葉を聞いて、嬉しかったので、

 

聖典を基に確かめた、ただそれだけでした。

 

 

観佛本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大法海(浄土論)

 

佛の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、

 

能く速やかに功徳の大法海を満足せしむ。

 

聞くと聞こえるは、決定的に違う。本当に何も聞いていなかった。

 

ただし自分はどうしても聞けない者である、と聞こえた。

 

そして、それは、今も響き続けている。

 

念佛が何度でも、何度でも、信の一念に引き戻す。

 

これを浄土のはたらき、如来の本願力と味わう。

 

 

本願とともに。南無阿弥陀