佛に値遇するということを、即得往生といい、
初歓喜地に至るともいい、正定聚に住するともいう。
初歓喜地とは、菩薩が退転の位、すなわち、十信、十住、十行、十廻向という
境涯を超えて、初めて、不退の位に達すると大いなる歓びが起こる、と
聞いています。
初めて真実に触れた、ということは確かに驚きであり、大きな歓びです。
しかし、それを握ってはいけない。握ると我執が法執に変わる。
見下す、驕慢心という心に陥る。
座談会でお話を聞くと、よく分かる。自分の心の動きが。
自分で握ってはいけない、ときばっても、だめで。
これを手放せしむるのが、智慧の念佛。
自分も気をつけなければならないが、よく握って手放さないような人が
多々あるように思う。法に執着している。法によって、善悪、自是他非を
行っている。自分はこれも分別だと思う。
藤谷先生は、これを注意しておられた。
出遇っても凡夫の手垢がつく。ここに苦しんでいる人が沢山いる、と。
念佛は無為自然。徐々に身に深まっていく。
なるようになれ 風にふかれるままに 思うままに ただ念佛を聞く
念佛できなくとも 本願を憶念し 仰せに還る 何度でも 何度でも
本願とともに。南無阿弥陀佛