むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

ただ称えよの仰せ

依るべきものがなく、できることもなく、わかることがひとつもない。

とても悲しいことだと思うが、これが自分の実相

何か分かるとかではなくて、本当に一切何も分からない。どうすればいいのか

わからない。何をすべきかも、何を望んでいるのかもわからない。

 

ただ、この者にめがけて、乃至十念若不生者不取正覚の仰せがある。

 

だから、自分には、もうこの仰せを聞くしか何もできない、というか、

何をしたらいいのか、本当にわからない。仰せを聞いて、応える。

ただくちになむあみだぶつと念佛を申す。それだけしかない。

 

煩悩具足の凡夫火宅無常の世界はよろづのことみなもってそらごとたわごと

まことあることなきにただ念佛のみぞまことにておはします(歎異抄

 

悲しい、という感情は、どういうものなのだろうと最近思う。

 

ただ、自分がどう思うとか、どう頂くとか、分かるようになったとか、

すべてそらごとで、ただ念佛してくれの仰せだけが灯明である。

 

あぁ、本当に何もわからない。

 

本願とともに。南無阿弥陀

 

追伸 

 

罪悪甚重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。

 

だから捨てない、捨てれないのだと仰る。ここに大悲本願、

 

摂取不捨の仰せがある。だから、生きていける。存在できる。

 

そして、これは許されているということだ。

 

十方衆生は、阿弥陀佛に許されている。見出されている。

抱かれている。みそなわれている。愛されている。

 

南無阿弥陀佛は変わらない。大事な師の言葉です。