むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

三帰依文を確かめていく①

人身受け難し、いますでに受く。

仏法聞き難し、いますでに聞く。


この身今生において度せずんば、

さらにいずれの生においてかこの身を度せん。

大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、

無上意を発さん。


自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、

智慧海のごとくならん。


自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、

一切無碍ならん。

無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。

我いま見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

 

いつも唱和している三帰依文です。これからこの言葉を確かめていきたいと思います。

 

受け難い人の身を今受けている。

本当に聞き難い佛法を今すでに聞いている。

この身、今生において決着をつけなければ、もう迷いを出ることはない。

 

みなもろともに本当のいのちの要求に目覚めてほしい。

 

一切のいきとしいけるものとともに、本当に帰るべき世界、

平等なる世界に生きていきたい。終わりなき歩みをともに歩んでいきたい。

 

差別や偏見、賢愚美醜、貧富、一切の妨げを超えて今わたしを貫く、本願の名号。

 

本願とともに。南無阿弥陀

 

17.11.16追記

 

多くのアクセスを頂いているので、追記いたします。

 

佛法とは、わたしの願いを聞いてもらうのではなくて、

 

如来の本願、すなわち如来の願いをわたしが聞きうけることでした。

 

わが名を称えてほしい、ということは、必要としてほしい、ということでしょう。

 

如来が私に対して、自分を必要としてほしい、というよびかけに

 

呼応する。それが聞其名号信心歓喜乃至一念であります。

 

如来の声が聞こえる。貫く。それが信の一念でありましょう。

 

一声の念佛で決着がつくまで仕上げられた。それが行の一念でありましょう。

 

今はただ、如来の本願を聞くばかりで十分なのであります。