むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

三帰依文を確かめていく②

この身、今生において度せずんばさらにいずれの生においてか、

この身を度せん。

 

度す、と云う言葉の意味には、此岸から彼岸に至る、という意味があると

聞いております。

 

このことの意味を、生死出づべき道と頂きます。

 

そして、生死出づべき道とは、今、わたしが存在する世界を捨てて、

西方浄土へ往生するのではなくて、

今、わたしが存在するこの世界のわが身において、

本当に自分を生きた、自分を回復した、本来の自分を取り戻した。

また、念佛ひとつに支えられ、あるがままに念佛申す。

本当にわが身を生き切るということが、生死出づべき道であると体解します。

 

わが身は如来から賜った、わたしの場所です。わが宿業を通して、

如来如来としてはたらき、衆生すなわちわたしはわたしとなります。

 

自分に与えられた唯一の行はすなわち念佛一つ。本願の名号のみ。

たとえそれができなくても、我が名を称えよの仰せ。

 

仰せとは、寿命無量光明無量、はかりなきいのちとひかりの如来の喚びかけ。

 

本願即阿弥陀如来阿弥陀如来即無量光明土。無量光明土即念佛。

念佛即本願。阿弥陀如来即釈迦如来。釈迦如来即教法。

教法即善知識。善知識即本願。本願即往相。往相即還相。還相即善知識。

大悲即本願。

 

出所はすべて本願。如来まします。そのことが本当ににんげんという

存在を根底から支える事実であると体解します。

 

少なくてもわたしにおいては、このことが真の灯明であります。

このこと一つにおいて、今を一歩一歩歩むことができます。

笑うことができますし、涙を流すことができます。

 

 

信は願より生ずれば 念佛成仏自然なり

自然はすなわち報土なり 証大涅槃うたがわず(高僧和讃 善導大師)

 

このご和讃がとても有難く頂ける、報恩講の今日この頃です。

 

本願とともに。南無阿弥陀