常に仰せが先行している。
ただそれに応える。そこに意味をつける必要がない。
自分が何かを思う必要もない。
事実は常に自分の思いを超えて先行している。
それに色んな思いや意味をなでつけて、こねくり回す。
事実事象に対して、自分が思いを起こす。
思いがあって、自分が起こるのではなくて、まず事実事象があって、
思いが起こる。
念佛の目的は念佛。他に何もいらない。意味も見返りもいらない。
汝を必ず助ける、我が名を称えよの仰せを聞いて、はいと応える。
それだけでいいし、それ以外にない。
また妄念はもとより凡夫の地体なり。
妄念の外に別の心もなきなり。中略。
妄念のうちより申しいだしたる念佛は、濁にしまぬ蓮のごとくにして、
決定往生うたがい有るべからず(横川法語)
自分の思いに用事なし。ただ名号を聞かせて頂くばかり。
本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言(正信偈)
本願が往生を定める。自分の思い、有り様ではない。
本願とともに。南無阿弥陀佛