色々な先生から、大悲のお心を聞かせて頂く。
ありがたいことに、本当に沢山の先生がおられ、それぞれの身を通したお言葉で
ご本願、念佛の心を教えて下さる。
その中で、自分が今思うことは、
今、ここで、お念佛を申す。これが本当に大事なことだなということです。
過去は、過ぎてしまった。
未来は、まだ実現していない。
あるのは、今、現に生きつつ死につつある自分。
無量無数の縁起の中で、いのちを保たせて頂いている事実。
その事実の身に帰れ。お前の場所はここだ。我、汝の足となり、
我、汝を支える大地となり、汝と共に歩む。
これが本願念佛、わが身、浅ましい口で称えさせ、耳に聞かせて頂くお念佛である。
本来、佛の御名を称えるような根性ではない。
愛欲と名利、わが身の安穏のみを祈る。これがわたくしの心である。
今、現に死につつ、生きつつある自分が佛の御名を称えさせていただき、
耳に聞かせて頂く。これがすべてのように思う。
思いは思い。思いによって萎縮した私の信心が、現実と本願念佛に
よって破られ続ける。これが和田先生が仰りたかったことのように感じた。
今、ここでお念佛を申す。いつでも、どこでも、小さな声で。
無相さんは、称えの仰せがかかっているのが念佛の行者と仰ったと聞く。
故に、自分はそれだけで十分だし、それだけが真なのだと思う。
本願とともに。南無阿弥陀佛