むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

2016年

この一年は、不思議なご縁で沢山の方にお会いさせて頂き、

 

共にひとときをすごすことができました。

 

日々、現実と念佛から知らされることは、

 

いよいよ迷いは深い、全くそこがつかないということしかわからないほど、

 

深淵である、ということと感じる。

 

浅ましい、残念である。うぬぼれ、我執、我愛。愛欲、名利。

 

財欲、怒り、そねみ、ねたみ。これらが明るみになってくる。

 

悲しいなと思っても、刹那すぐに消えてしまう。悲しさをひきずることさえ、

 

できない。

 

しかし、如来は仰る。だから、捨てない、と。

 

水火の難に堕することをおそれざれ。我能く汝を護らん。

 

二河の譬に弥陀如来が仰るお言葉のとおり。無碍であり、無量であり、

 

一切の有碍を貫く。これが選択本願念佛。

 

初めは転であったが、今は忍、そのまま堪える。如来が足となり、大地となり、

 

共に受け止めてくださる。

 

それが念佛である。自然のりょうをしらせん念佛である。

 

念佛は本願である。念佛の他に本願はない。このことを絶対不二と味わう。

 

来年もいのちがあれば、共に念佛往生の本願、大悲を聞かせて頂きたく思う。

 

こんなしょうもないブログをどなたがご覧になっているか、わかりませんが、

 

ご縁を賜り、有難うございました。

 

寒い日が続きますが、くれぐれもご自愛下さいませ。もしよければ、

 

お念佛を申してください。ただくちになむあみだぶつと。

 

本願とともに。南無阿弥陀