むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

光は照らすものである。

 

照らされて影が浮かぶ。

 

影以外に自分はなく、影を通して光に出遇う。

 

いつの間にか佛法に立って、一切を見下し、驕慢心を起こしている。

 

繰り返し繰り返し影に遇う。そこには痛みや悲しさややりきれなさが

 

付きまとう。どうして自分はこうなのだろうと。この現実は何だろうと。

 

目の前の現実に対し、あまりに自分は無力である。

 

その自分に出会い続ける。目をそらさずに、痛みやむなしさを

 

受け止める。受け止めさせるはたらきもまた光である。

 

しかし、目の前の人が自分を照らしてくれる光でもある。

 

それはまことの光に出遇うことで初めて浮かび上がってきた光である。

 

170105追記

 

人は光である。自分独りでは決して自分の心の動きに気づくことができない。

自分を照らしてくださる光である。人が居る。本質的には、このことが

本当に大事なことだと思う。人は決して薄っぺらいものではない。

ひとりひとりが、とてもとても深く、歴史を持つ者である。

これは智慧の念佛によって、気づかされるものである。