よろこびたいが、よろこぶばかりにはならない。
またよろこびだけでおさえられるほど、人間は浅くない。
人間は深いものだ。歴史と悲哀を背負っている。
明けましておめでとう。幸多からんことを。
どうにも違和感を感じてしまう。
よろこびも悲しみも苦しみも孤独も、みな大事な自分自身ではないか。
思い通りにいくことが幸いではない。
佛の本願とは、どうしても自分の宿業から逃れられないもののために、
その者が自由に、笑顔になるのなら、私は総てを捧げよう。
どうか汝は汝自身を大切にするんだよ。
この心を法蔵比丘の願心、佛道の根本、浄土の大菩提心、
弥陀の誓願という。その心が言葉に声に成って今ひとりひとりに響く。
それが南無阿弥陀佛、一声の念佛である。如来の血と脂と汗と痛み、
まごころが込められている。
もう自分だけの思いに閉じこもるわけにはいかない。
如何に非力であっても、如来選択の大行をともに
往生浄土の道をとぼとぼと歩む。
本願とともに。南無阿弥陀佛