どの人も一生懸命生きている。
その人がこれで「よい」と思う方向に向かって生きている。
それが、何一つ成就しない。敗壊、退転する。
どういうことだろう?
僕はよく道に迷う。
なぜ迷うか?それは、目的地に対して、進むべき方向がどっちか分からないこと、
そして、今自分がいる場所がどこかが明確でない。主にこの2つで迷う。
人は方向を知らない。だから迷うようにできている。これを無明という。
無明に対して、如来は智慧である。智慧とは光明である。
向かうべき方向を示し、そこに至る方便をつけてくださっている。
仏からの道。
念佛往生の道。
この道は必ず無量光明土へ至るとよき人は仰る。
だから、よき人の仰せをそのまま頂いて、その通り
念佛を申し、耳に聞く。
方向と自己存在の立ち居地を明確に知る者を覚者、如来という。
如来は教法として、道を示してくださる。教法は生きていて、躍動している。
血が通っており、今もずっと生きているし、これからも生き続けていく。
道は『知っている人』に聞けばよい。『詳しい方』に聞けばよい。
ただそれだけである。
『分からない人』に聞いても、ただ迷うだけである。分からない人を『凡夫』という。
だから、それらをさしおく。それらは、自分が正しいという思いを握って、
決して手放そうとしない。地獄の巣は自分が正しいという邪見である。
だから衝突が絶えない。だって、両方とも正しいと思っているのだから。
毎日暮らしていて、よく思うことである。
故に凡夫ではなく、専ら覚者の仰せを聞く。仰せを聞けば、
仰せの通りに至る。佛因佛果。
南無阿弥陀佛