いよいよ言葉が尽きてきました。
専ら仰せに従う。
それだけであります。
乃至十念 若不生者 不取正覚
(仏説無量寿経 第十八願 念佛往生の悲願)
我が名を称えるばかりで、必ず我が浄土に生まれさせる。
汝は念佛を申すだけでよい。一切は弥陀が全責任を負う。
必ず汝を助けるの仰せ、これが一声の南無阿弥陀佛。
ただ仏語を信じ、決定して行に依る(愚禿鈔)
念佛を申せば、必ず自分に聞こえる。その一声が必ず助けるの仰せ。
よきひとが、念佛は如来の勅命なるぞと、仰るのであれば、
それが何かは全く分からなくても、そのまま南無阿弥陀佛と申す。
ただそれだけである。
念佛往生は如来の悲願であり、わたしの悲願ではない。
如来がその存在を懸けて、誓っておられる。それが不取正覚のお言葉。
その悲願に一切を託す。果たし遂げずばおかないの誓い、
さらに重ねて誓われたのは、誰のためか?正しく上げも下ろしもならぬ、
このわたくしのためでした。
南無阿弥陀佛