むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

ねんぶつのうた

最近は、法話の場に行っても、話の内容や言葉を覚えようという気持ちが

 

なくなってしまい、ただ有縁の先生のお顔を見に行っているような、

 

そんな感覚でおります。

 

お念佛もおろそかで、日常はあれやこれやで毎日が過ぎております。

 

いくら自分が忘れても、如来様は忘れてくださらん。

 

これだけで十分な気がいたします。

 

十牛図という禅宗のお話は聞いたことがありますか?

 

このお話の最後は、山を降りて、いろんな人と交わって、お酒を呑んだり、

 

ご飯を食べたり、子どもと遊んだり、というもので終わります。

 

このお心がほのかに感じられます。

 

華厳経の本を読ませて頂いたり、お念佛に親しませて頂き、

 

本来の佛法を聞く前の自分に還っていっているような気がします。

 

信の一念に確かに歓びが起こりましたが、咲いた花は散らねばならぬ。

 

散った後には種が残る。その種が憶念の心。憶念の心は決して休まずに、

 

常に覚めている心だ、と藤谷秀道先生は教えて下さいました。

 

 

いまはただ よろこびも どこへやら ただなむあみだぶつ なむあみだぶつ

 

よろこびはよろこびで おもいではおもいで ただうつしよのいまをいきる

 

ぼんぶはひとりじゃないよ みんなもろとも ひかりをあおぐ

 

大悲無捲常照我身 われをたのめとよびたもうなり 

 

たのしみも かなしみも みなもろともに 大悲にとけていく