夢のお告げだけとは思えなかった。
太子の著作を初めて読んで驚いた。
太子は佛のお心が分かっておられた方とは知らなかった。
希有の心を生ずとは、常住を聞くを謂うなり。
通じて論ずることを為さば、常住は本然なり。但是を聞くこと希なるが故に
希有と云う(勝鬘経義疏 其中堂p10)
いなかったが、法然聖人とは流刑以後お会いすることが
できず、親鸞聖人が苦しくて再び道に行き詰まった時、
おそらく太子の著作を拝読して道がもう一度開かれたのだと思う。
単に夢告だけではない。
本当に佛法が浸透した方でなければこんな本を書き残すことは
できないと感じた。
尋ねてみます。
なんまんだぶ