3月ごろある座談会にて、何とか伝えられないか、自分が頂いているところは
伝えなければ、と思い、ずいぶん力が入ってしまっていた。
結局は、自分が分かっているつもりになってしまうのだと思う。
今はどうやと言われれば、今もそうなのかもしれない。
ただ、今念佛の声が聞こえる。それだけでいいのではないかと思う。
今、ようやく出離生死の縁が整ったということなのだろう。
今、やっと念佛を申さしむる条件が整った。
如来が待ち望んだ時に至った。
これが自分の体解する佛法である。
『待っていた』
この一言は三世を超える如来の大悲から出た言葉である。
念佛が聞こえ、本当に遇うべきものに遇うことを得た。
この一点で、自分はやはり生き返ったのである。
南無阿弥陀佛