むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

仰せに従う

なんぢよくこの語を持て。

この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり。

観無量寿経、註釈版聖典117頁)

 

 

 

持て(たもて)ということは、称え続け、聞き続け、一期を貫けの仰せ。

 

善知識や菩薩方の教えも有難い。

釈して下さらねば、御心が分からないから。

 

しかし、如来と菩薩は境界を異にする。佛佛相念、唯佛独明了。

涅槃は佛しか分からないのである。

 

最終的に、親鸞聖人も、

 

ただ仏語を信じ決定して行に依ると仰る(愚禿鈔

 

即ち、このこと一つをたもての仰せ。

 

親鸞聖人は僕自身のわが身に先立って、現実を、煩悩を恐れるなと

 

ご自身の身とご生涯を以って念佛往生を示して下さった。

 

本当に信頼に足る方だと身に沁みて思う。

 

無知無能煩悩具足我執無明の者よ、極重悪人よ。

 

ただ無量寿佛の御名を称えよが、三世十方諸佛の仰せ。

 

佛説とは如来のお言葉である。

 

それは三世十方微塵世界を貫く大悲の智慧である。無常を超えたおはたらきである。

 

仰せに従う、ただそれだけでである。

 

南無阿弥陀