如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり(正像末和讃)
苦悩の有情とはわれであり、われらであります。
根機つたないとて悲しむなよ。助けるぞよと
喚びたもうなり。親鸞聖人のたまわく、
喚ばふとは喚びづめである。絶え間なく常である。
助からぬわれら、如来の無限大悲本願力にて必ず平等に
念佛往生せしめられるなり。
念佛往生の信心発起せしめられるが故に、助からぬわれら、
みな無上大涅槃に至らしめられるなり。
助からぬわれら、如来の本願力にて必ず往生せしめられるなり。
念佛の行者もし往生せずは、われも正覚を取らじ(持名鈔 本)
汝、安心なら安心のまま念佛申しなさい。
汝、悲しいなら悲しいまま念佛申しなさい。
念佛とはむなしさを打ち消さずしていだきとってくださる
如来の大行であります。
汝、今その身そのままその心のまま念佛申しなさい。
その口に称え耳に聞こえる念佛をただタスケルと聞くばかり。
南無阿弥陀佛