むなしさとともに

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名無往生文 佛徳讃嘆

親鸞聖人正信念佛偈にいわく、帰命無量寿如来 南無不可思議光

 

天親菩薩 無量寿経優婆提舎願生偈にいわく、

 

世尊我一心帰命尽十方無礙光如来願生安楽国 

 

わたくし名無にいわく、

 

われ無限なる如来の大悲に帰命せしめられ、今ここで念佛を申し、耳に聞かせて頂きます。

 

この一声一声は、汝往生させずば、我佛に成らじという因位法蔵比丘、

 

果位阿弥陀如来の喚びかけであるとは、今の今まで知りませんでした。

 

まことに不可思議であり、驚嘆すべき大悲です。


我、汝にわが名を称えさせ、聞かせ、信心を発起せしめ、往生させ、成佛させるという

 

第十八願、念佛往生の願、第二十願、果遂の誓いの力強さよ。

 

南無阿弥陀佛とは阿弥陀如来の御名である。

 

この佛の相は一切衆生の声なり。これ今現在説法の心なり。

 

衆生と佛遠からず、親しく近しく、つねにともにましまして、

 

抱きとり、喚びづめに喚んで下さり、決して見捨てぬ、必ず往生させるの御心なり。

 


われ、如来の御名を称える力皆無なり。われ、如来の御名を聞く力欠如す。

 

タスケルの仰せが佛法、わたくしに佛法、まことの信心起こることなし。

 

今ここで、口に称え、耳に聞こえてくださる念佛を聞かしめられるばかりなり。

 

わが身わが心の有様に微塵の用事なし。阿弥陀如来、二種の回向により、

 

必ず往生を遂げさせて頂くばかり。

 

タスカラヌわれら、誓願不思議にたすけられて、平等に必ず往生せしめられるなり。

 

釈迦如来、まことに大悲の化身なり。

 

われらに有縁の如来なり、本当にご苦労下さったこと深く嘆ず。ただ感謝し、ただ仰ぐ。

 

タスカルとはタスカル必要さえいらぬこと。

 

信心とは信不信に用事がいらぬこと。

 

念佛とは大悲が形をとってまで、今、ここで、聞こえてくださるもの。

 

釈迦如来観無量寿経にいわく、無量寿佛の御名をたもてとなり、と。

 

無量寿佛とは、われらが阿弥陀如来なり。御名とは南無阿弥陀佛なり。

 

たもてとは、南無阿弥陀佛を称えつつ、聞けよの仰せなり。

 

結句

 

わが身わが心をたのむのか、如来のタスケルの仰せ、諸佛のお勧めをたのむのか。

 

ふたつに一つなり。

 

われすでにタスケルの仰せに託すばかり。

 

われがタスカルかタスカラヌかの用事あることなし。われそれを知らず。

ただタスケルと聞くばかり。

 

親鸞聖人いわく、ただ佛語を信じ、決定して行に依れと(愚禿鈔

 

ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし、と(歎異抄

 

佛語とは、先は釈迦如来、諸佛善知識、先立って念佛往生を証し下さった先達の言葉なり。

 

一切諸佛のお勧めなり。阿弥陀経にいわく、一切諸佛証誠護念経と。

 

行に依れとは、生涯念佛唯一行をたもて、必ず往生してくれよの大悲の仰せなり。

 

南無阿弥陀